中村桂子【JT生命誌研究館 館長】 文化部門

 

受賞年月

平成25年2月

受賞理由

多様な生物に受け継がれている生命の歴史を読み取る「生命誌」の提唱をはじめ、生命科学における顕著な業績、並びに生命科学の発展に寄与した数々の功績。

受賞者の経歴

【主な職業】
JT生命誌研究館 館長
学   歴】
1959(昭和34)年 東京大学理学部化学科卒業
1964(昭和39)年 東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了

【学位・称号】
理学博士

【経   歴】
1964(昭和39)年〜1966(昭和41)年  国立予防衛生研究所研究員
1971(昭和46)年〜1981(昭和56)年  三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長
1981(昭和56)年〜1989(平成 元)年  三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長
1989(平成 元)年〜1993(平成 5)年  早稲田大学人間科学部教授
1989(平成元)年             三菱化成生命科学研究所名誉研究員
1991(平成 3)年〜1993(平成 5)年  NHK国内放送番組審議会委員
1993(平成 5)年〜1998(平成10)年  早稲田大学人間科学研究科教授
1993(平成 5)年〜2002(平成14)年  JT生命誌研究館副館長
1993(平成 5)年〜2002(平成14)年  NHK経営委員会委員
1995(平成 7)年〜1997(平成 9)年  東京大学先端科学技術センター客員教授
1996(平成 8)年〜2002(平成14)年  大阪大学連携大学院教授
2002(平成14)年〜(現在)       JT生命誌研究館館長
2003(平成15)年〜2006(平成18)年  関西電力株式会社取締役
2006(平成18)年〜2007(平成19)年  関西電力株式会社監査役
2007(平成19)年〜2012(平成24)年  株式会社三菱総合研究所取締役

【過去における表彰】
1993(平成 5)年   第47回毎日新聞出版文化賞 「自己創出する生命」(哲学書房)
1996(平成 8)年   第12回日刊工業新聞 技術・科学図書文化賞優秀賞 「ゲノムを読む」(紀伊國屋書店)
2000(平成12)年   第8回松下幸之助花の万博記念賞、 第15回ダイヤモンドレディ賞
2002(平成14)年   オメガ・アワード2002、  第10回大阪府女性基金プリムラ賞
2007(平成19)年   第45回大阪文化賞

【主要著書】
『これからのライフサイエンス ─バイオエシックス試論─』(工業調査会 1982)
『女性のための生命科学』(中央公論社 1987)
『毎日が科学の目』(講談社 1987)
『子供の「なぜ」に答える本』(PHP研究所 1987)
『生命科学と人間』(NHKブックス 1989)
『生命誌の扉をひらく ─科学に拠って科学を超える─』(哲学書房 1990)
『ミクロコスモスに生命誌をよむ』(三田出版会 1990)
『生命科学から生命誌へ』(小学館 1991)
『あなたのなかのDNA ─必ずわかる遺伝子の話─』(ハヤカワ文庫 1994)
『「私」はなぜ存在するか ─脳・免疫・ゲノム─』(哲学書房 1994)
『生命科学』(講談社学術文庫 1996)
『ゲノムを読む ─人間を知るために─』(紀伊國屋書店 1996)
『ゲノムの見る夢 ─中村桂子対談集─』(青土社 1996)
『科学技術時代の子どもたち』(岩波書店 1997)
『生命誌の窓から』(小学館 1998)
『北里柴三郎 破傷風菌論』(哲学書房 1999)
『食卓の上のDNA ─暮らしと遺伝子の話』(ハヤカワ文庫 1999)
『生命科学者ノート』(岩波現代文庫 2000)
『生命誌の世界』(NHKライブラリー 2000)
『生命の文法 ─〈情報学〉と〈生きること〉─』(哲学書房 2001)
『「生きもの」感覚で生きる』(講談社 2002)
『鶴見和子・対話まんだら(中村桂子の巻)四十億年の私の「生命」』(藤原書店 2002)
『生命の未来を語る』(岩波書店 2003)
『ゲノムが語る生命 ─新しい知の創出─』(集英社新書 2004)
『いのちの対話』(集英社 2004)
『自己創出する生命 ─普遍と個の物語─』(ちくま学芸文庫 2006)
『「生きている」を見つめる医療 ─ゲノムでよみとく生命誌講座─』(講談社現代新書 2007)
『見てわかるDNAのしくみ(DVD&図解)』(講談社ブルーバックス 2007)
『いのち愛づる姫 ─ものみな一つの細胞から─』(藤原書店 2007)
『「子ども力(ぢから)」を信じて、伸ばす』(三笠書房 2009)
『「生きている」を考える』(NTT出版 2010)
『生きもの上陸大作戦 ─絶滅と進化の5億年─』(PHPサイエンス・ワールド新書 2010)

業  績

氏の業績は、次のとおりである。

【新学問分野「生命誌」の提唱と生命科学の発展】
氏は、東京大学理学部化学科三年生の時にDNAの二重らせん構造を見て美しいと感じたことをきっかけに、大学院では日本の分子生物学のパイオニア渡辺格教授の研究室で大腸菌を用いたタンパク合成に関わるtRNAの機能(アミノ酸によって異なるtRNAを用いる証明)、ファージを用いたアミノ酸
合成の調節(オペレーターの機能解明)を研究し、博士号を取得。国立予防衛生研究所でこの研究を続けた。
1971年、「生命科学」を提唱した江上不二夫東京大学名誉教授が創設した三菱化成生命科学研究所に入所し、江上博士の構想になる「社会生命科学」の研究室長として新分野の開拓に努めた。生命科学は生物科学研究の総合化と研究成果を基に生命を尊重する社会づくりを考えることを特徴としており、その理念を具体化するために社会生命科学研究室が設置されたのである。
氏は、この活動の中でもとくに研究の総合化、つまり、個別の生物研究を超えて生命とはなにか、生きているとはどういうことかという問いに答える学問づくりに関心を持ち、そのための考えを深めた。一方、社会の中での科学という課題には外からの要求が多くあった。たとえば、1970年代から80年代にかけて組換えDNA技術の開発をきっかけにバイオテクノロジーへの期待が高まる一方で、その社会的、倫理的、法的課題が生じた。この技術は思いもよらぬ生物を生み出す危険性が心配される一方、人間を含む多細胞生物の研究には不可欠であり、米国を中心にガイドラインを制定し、規制の中での研究が進められるようになった。しかし、日本では社会が新しい技術への疑問を強く示し、研究者も一歩を踏み出すことをためらっていた。ガイドラインを制定し生命科学を適切に進展させる必要があるとの判断に基づいて動き出した渡辺格名誉教授と共に、ガイドライン制定の努力をした。江上不二夫博士もその立場をとり、三菱化成生命科学研究所が日本で最初のガイドラインをもつ組織となり、新しい研究を進めることになった。
氏はこの作業の過程で、研究とはなにか、社会と科学の関係、日本社会での科学および科学者のありようなどを考えることになり、生命科学は本当に生命の本質を探り、その知識を基本に置いた生命を尊重する社会づくりを考えているのだろうかという根本的な問いにぶつかった。疑問は二つあった。一つはDNAを中心にした研究が生きものを機械として捉え、その構造と機能を解明すれば理解できるとしているがそれは違う、生きものは生まれ、育ち、死ぬものとして見なければいけないということである。二つめは生命科学の成果に技術として役立ち、経済効果を出すことだけが求められていることである。重要なのは世界観、自然観を示すことであるのに。
氏は悩んだ結果、1987年に「生命誌」という新しい学問分野を提案し、1991年それを具体化する組織「生命誌研究館」を立ち上げた。地球上の生物は多様であり、また多様であることが重要なのだが、一方ですべての生物はDNAをもつ細胞から成るという共通性をもつ。共通性は全生物が共通の祖先(38億年前の海に存在)から生じたことを示している。そこで38億年の歴史と生物間の関係を知ることから生命を知ろうとするのが生命誌である。具体的には生物の発生、進化、生態系を解明することで、この歴史物語を知る研究を行なっている。
研究館では、まず、オサムシという地面を這う甲虫に注目し、その系統樹と日本列島上での分布を調べたところ、オサムシが日本列島形成史を語っていることがわかった。アジア大陸にいたオサムシはその端から別れた日本列島の上に乗って移動したのである。これは生物と地球との関わりを解明した初めての研究となり、以来、地球の動きと生きものの歴史を関連づけて自然誌を語る研究は世界中で盛んに行なわれることになった。また、動物と植物との関わりとしてチョウとその食草との共進化を研究した。ナミアゲハの幼虫はミカン科の葉しか食べないのでチョウはそこに卵を産まなければならない。どのようにしてそれを選択しているのか、ミカンの葉に含まれる成分を見分ける受容体遺伝子を探索し、そのはたらきが産卵につながることを示した。これも昆虫で遺伝子から行動までをつなぐ全体を解明した初めての研究となった。これから食草の変化を追い、チョウと食草を通して共進化という現象を解いていきたいと考えている。さらに、昆虫に近い節足動物であるオオヒメグモを新しい研究対象としてとりあげ、その体節づくりが節足動物と脊椎動物の中間にあることを見出した。これは両者の共通祖先を探る一歩になると期待される。その他、小さな、新しい生きものたちに注目し、生きものの発生、進化、生態系をつなぐ物語り ─ 生命誌をつくりつつある。
【「生命誌」に基づく社会的活動】
一方、氏は、研究館(Research Hall)としての活動も活発に行なっている。発想は科学のコンサートホールである。一級のプロが奏でる音楽を一般の人々が楽しむように、本格的な科学研究の成果を誰もが楽しめる形で発信している。発信のための表現を考え出すグループをもち、そこで工夫した雑
誌、展示、催物、ホームページなどさまざまな形の発信はユニークなものとして評価されている。たとえばここで続けてきたサイエンティスト・ライブラリーは第一級の研究をした研究者の子どもの頃からを御自身に語っていただくもので、すでに75人以上、アーカイブとして活用されている。
氏は、これらの活動を生命を基本にする社会づくりにつなげることが重要であると考え、まず「生命誌に基づく世界観」を描き、「人間は生きものであり、自然の一部である」という認識を基本に置いた社会の提案を行なってきた。考え方の発信と同時にその具体化の努力もした。例を二つあげる。
一つは医学部学生の医学概論として『「生きている」を見つめる医療 ─ゲノムでよみとく生命誌講座─』という教科書をつくり、授業を行なっている。日本の医学部は技術教育に偏り、生病老死の基本を教えていない。これが医療を変えていく一つの方法と考えている。もう一つは、福島県喜多方市の小学校の農業科設置である。教育特区として小学生全員に年間を通して農業を行なう制度を作った結果、子どもたちがいのちの大切さを実感し、豊かな心、社会性、主体性が育まれた。支援員として地域の高齢者が経験を生かして活躍し、子どもたちが尊敬するようになったことも効果としてあげられる。
氏は、このような具体的な活動を通してこそ生命を基本に置く世界観、自然観が生かされることを実感している。


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