小倉純二【(公財)日本サッカー協会 名誉会長】 国際部門

 

受賞年月

平成25年2月

受賞理由

日本サッカー界の興隆と世界的な地位向上及び世界のサッカーの発展並びにサッカーを通じた国際貢献に努めた功績

受賞者の経歴

【現  職】
(公財)日本サッカー協会 名誉会長
東アジアサッカー連盟 名誉会長
2002FIFAワールドカップTM記念日本サッカーミュージアム 館長 他
【学   歴
早稲田大学政治経済学部卒業
【主な経歴】
「古河電気工業㈱関係」
1962(昭和37)年 4月 古河電気工業㈱ 入社
1977(昭和52)年 1月 同 財務課長
1982(昭和57)年 1月 同 ロンドン駐在員事務局長(1987(昭和62)年1月まで)
1987(昭和62)年 6月 同 サッカー部部長(1990(平成2)年6月まで)
1987(昭和37)年 4月 同 経営企画室部長
1990(平成 2)年 6月 同 取締役経理部長(1992(平成4)年6月まで)
「日本サッカー協会関係」

1990(平成 2)年 5月 (財)日本サッカー協会 特任理事
1990(平成 2)年 5月 同 国際委員会委員長(2010(平成22)年8月まで)
1991(平成 3)年 5月 同 理事
1992(平成 4)年 5月 同 専務理事
1998(平成10)年 7月 同 副会長
2011(平成23)年 7月 同 会長
2012(平成24)年 6月 (公財)日本サッカー協会 名誉会長(現在まで)
2012(平成24)年10月  2002FIFAワールドカップTM記念日本サッカーミュージアム館長(現在まで)
「サッカーワールドカップ招致関係」
1994(平成 6)年 6月 2002年FIFAワールドカップ日本招致委員会 事務局長(1996(平成8)年6月まで)
1996(平成 8)年 7月 2002年FIFAワールドカップ開催準備委員会 事務局長(1997(平成9)年6月まで)
1997(平成 9)年12月 2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会 実行委員会委員(2000(平成12)年10月まで)
1998(平成10)年 7月 2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会 理事(2003(平成15)年10月まで)
2000(平成12)年10月 2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会 事務総長代理(2003(平成15)年12月まで)
※ワールドカップ大会期間中、トーナメント・ダイレクター
「海外のサッカー連盟関係」
1994(平成6)年5月 アジアサッカー連盟(AFC)理事(2011(平成23)年1月まで)
2002(平成14)年8月 国際サッカー連盟(FIFA)理事(2011(平成23)年5月まで)
※ スタジアム及びセキュリティ委員会委員長・U-17ワールドカップ組織委員会副委員長・フットサル委員会委員・2010年FIFAワールドカップ組織委員会委員 他
2008(平成20)年 9月 東アジアサッカー連盟(EAFF)会長(2011(平成23)年3月まで)
2011(平成23)年 3月 同 名誉会長(現在まで)
「その他」
2008(平成20)年 8月 ㈱Jリーグメディアプロモーション 代表取締役社長
2010(平成22)年 7月 同 取締役会長
【表  彰】
2002(平成14)年 アジアサッカー連盟(AFC)勤続表彰(Service Awards- 10years)受賞
2010(平成22)年 国際サッカー連盟(FIFA)功労賞(FIFA Order of Merit)受賞
2011(平成23)年 南米サッカー連盟(CONMEBOL)特別勲章(Gran Collar Extraordinario)受章
【主要著書】
「サッカーの国際政治学」2004年 講談社新書

受賞者の業績

氏の業績は、次のとおりである。
【日本サッカー協会における活動】
同人は、昭和37年3月早稲田大学政治経済学部を卒業後、古河電気工業株式会社に入社。入社後、同社サッカー部の活動に関わり、同サッカー部の部長就任に伴い、同サッカー部が参加していた日本サッカーリーグの運営にも携わることとなった。また、この間同人は、昭和56年に同社ロンドン駐在
員事務局長と赴任して以降の6年間、欧州及び中東地域全般の営業を担当する傍ら、(財)日本サッカー協会国際委員に就任し、同地域に遠征する日本サッカーチームの準備・調整、同地域から来日するサッカーチームの諸調整を担うなど、海外チームとの対戦を通じて、当時まだアマチュアであった
日本のサッカー選手の国際経験に大いに貢献した。
同人は、平成4年、財団法人日本サッカー協会へ出向し専務理事に就任、これまでの国際経験を生かし海外関連の渉外の先頭に立つ一方、組織の基盤整備にも着手した。当時、全国47都道府県にはそれぞれのサッカー協会が設けられていたが、個人の自宅をサッカー協会事務所としているところも多く、連絡調整に手間取るなどの弊害が見られたため、同人はそれらの協会と日本サッカー協会をオンラインで結ぶネットワークシステム「GOAL-NET」を構築し、平成8年から開設した。当時としては画期的な事業であり、これを機にほとんどの協会が独立した事務所を設置し、さらに常勤の職員を配置するようになった。このシステムの構築がその後の各地サッカー協会の組織・基盤の充実へと繋がり、法人化への大きな出発点となった。このシステムを活用した選手登録制度の整備は、どの競技団体も実現できていなかったサービスを産み、審判・指導者・フットサルの登録などへの拡充、また国内他競技団体でもスタンダードになるなど、スポーツ界全体のIT改革に繋がっていった。
さらに、財政に明るい同人は、平成10年、キリンビール、キリンビバレッジ及びキリンシーグラムのキリングループ3社との「サッカー日本代表オフィシャルスポンサー契約」の締結に尽力した。従来、個々の大会への協賛としていた冠スポンサーを、「日本代表」というカテゴリーでの包括的なサポート契約により、日本サッカー協会の財政基盤の安定化が大きく図られ、FIFAワールドカップへ向けた強化体制が整えられた。
同人は、組織及び財政の基盤強化後、FIFAワールドカップ2002招致のための本格的な活動を開始し、2年間で増補したパスポート2冊を使い切るほど世界各地を廻り、関係者との折衝を重ねた。紆余曲折を経て日韓ワールドカップの招致を成し得た同人は、日本と韓国の二国間に亘る大会にもかか
わらず持ち前のリーダーシップを発揮し、トーナメントダイレクターとして大会を成功裡に終わらせた。また同人は、ワールドカップ終了後の翌年9月に日本サッカー協会事務局の移転を決定した。各スポーツ団体協会が入所していた岸記念体育館から近隣のビルの一室に独立してから10年、自社ビル
を購入しての移転となった。この移転により、事務局の機能的集約が実現し、Jリーグを始めサッカーファミリー団体の多くが同じビルに入居することとなり、金額では測れない大きなメリットを生み出した。
【FIFA及びAFCにおける活動】
同人は、アジア各国より「アジア初のワールドカップ成功の最大功労者」、「アジアの誇り」と評価され、平成14年8月にマレーシア・クアラルンプールにて開催されたアジアサッカー連盟(AFC)総会において、国際サッカー連盟(FIFA)理事に選出された。FIFAは、国際連合加盟193か国を上回る209の国・地域が加盟している世界最大の組織で、FIFAが開催する4年に一度のワールドカップは、オリンピックを凌駕する大会となっている。また、世界6大陸のそれぞれのサッカー協会から選出される理事は、国家元首から招待を受けるほどの名誉と地位を得るもので、海外に対し国を代表する顔の一つと言っても過言ではない。
同人はFIFA理事としての役割を全うする一方、日本サッカーの強化を図りながら、FIFA及びAFCの委員として、フットサルや女子サッカーといった当時発展途上にある分野の普及・発展にも一層尽力した。同時期、同人が呼びかけ人となり、日本を含めた東アジアの9の国と地域による東アジアサッカー連盟(EAFF)が設立された。日本、大韓民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国と言った政治的に異なる国々がサッカーという絆で繋ぎ協力し合いながら、香港、マカオ、モンゴル、台湾、グアムといったサッカー後進国やサッカーの発展に苦慮している国々において、国際サッカー大会を開催するなど、サッカーの底上げや一層の普及に尽くした。この努力により、設立当時FIFAの加盟国ランクが加盟国中最下位の206位であったグアムは、現在181位にまで順位を上げるなどの成果を挙げている。
【社会的な活動】
同人は、平成23年3月11日に日本を襲った東日本大震災においても、その復興に尽力した。震災の後、日本サッカー協会内に日本赤十字社への寄付を募る口座を即座に開設し、震災からわずか5日後の3月16日には日本サッカー協会ホームページにおいて、広く一般に義援金を募った。一方、3月末に予定していた国際試合開催に最後まで奔走し、各方面との懸命の調整の結果、チャリティマッチとしての試合が実現し、その収益金と上記の義援金と合わせ約2億円もの多額を日本赤十字社へ寄付することが出来た。このチャリティマッチの開催は、金銭面だけではなく、震災後初のスポーツイベン
トとして、被災地の方々への精神的応援、海外からの原発の風評被害への対応として、各方面からその決断が称賛された。
さらに、早くから職員を被災地入りさせ、全国のサッカーファミリーから集めた支援物資を被災者に届けるなど、長期支援のための活動体制も整えた。これら被災者への支援とともに、同人は自らが長きにわたり築いた人脈をフルに活用し、FIFAに財政支援を要請、およそ5億円の財政援助を取り付け、その援助資金を基に、現在、カシマスタジアムの改修、岩手県及び福島県におけるフットボールセンター新設などの事業が進められている。またアディダスのドイツ本社からは、サッカーボール、サッカーウエアそれぞれ15,000づつの提供を引出し、10月、被災地のサッカーチームを中心に配布を行った。
同人は、平成23年5月に国際サッカー連盟理事を退いたが、このような迅速な財政的、物質的支援が可能となったのは、同人の長年にわたるサッカー界での功績のみならず、真面目でクリーン、真摯な人柄によるところが大きく、この未曽有の大災害において、同人が復興に果たした功績は特筆すべ
きものであり、国内外において高く評価されている。
同人が平成24年10月に館長に就任した「2002FIFAワールドカップTM記念日本サッカーミュージアム」は、2002年のワールドカップ開催の感動を末長く多くの人々に伝えるとともに、日本サッカーの情報発信基地として開設された。倉庫に眠るサッカー関連の様々な資料や多くの先人達の貴重な資料を展示し情報発信することで、サッカーの普及・振興に役立てようとする長年の同人の想いが結実したものである。平成23年のアジアカップやなでしこジャパンの女子ワールドカップの優勝トロフィーを一般公開するなど、新たな感動を共有する場となっている。

このように、同人の常に世界を見据えた広い視野と確かな将来展望による数々の施策は、サッカー界の数々の夢を現実のものとし、日本のみならずアジアさらには世界のサッカー界全体の基盤整備、普及・発展へと繋がった。これら同人が成し得た数々の業績から特筆すべきことは、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献してきたことに他ならない。
FIFAは、理事職を定年で退く同人に、FIFA Order of Merit(FIFA功労賞)を贈った。その受賞理由が、同人の長きに渡るサッカー界への尽力を的確に述べている。
「 世界中での素晴らしい試合のための、彼の深遠なプロ意識、公平に満ちた真摯な人柄、深い情熱、そして疲れを知らない尽力、傑出した貢献は、高く尊ばれるべきものである。」

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