廣川利男【東京電機大学名誉教授・学園長】 文化部門

受賞年月

平成17年2月

受賞理由

多年、わが国の教育、学術、文化の振興、特に私学の振興に尽くした功績

受賞者の経歴

【学歴】
昭和28年(1953)  3月 東京電機大学工学部電気工学科卒業
昭和36年(1961)  3月 東京電機大学大学院工学研究科修士課程修了
【職歴】
昭和28年(1953)  4月 東京電機大学勤務
昭和48年(1973)10月 東京電機大学教授(平成13年3月まで)
昭和48年(1973)12月 学校法人東京電機大学評議員(昭和51年12月まで)
昭和49年(1974)  4月 東京電機大学工学部第一部電気工学科長(昭和53年3月まで)
東京電機大学工学部第二部電気工学科長〔兼務〕(昭和53年3月まで)
昭和53年(1978)  4月 東京電機大学短期大学電気科長(昭和56年3月まで)
昭和56年(1981)  4月 東京電機大学学生部長(昭和59年3月まで)
昭和57年(1982)12月 学校法人東京電機大学評議員(平成10年3月まで)
昭和58年(1983)  1月 学校法人東京電機大学理事(昭和60年12月まで)
昭和59年(1984)  4月 学校法人東京電機大学総務部長(昭和63年3月まで)
昭和61年(1986)  1月 学校法人東京電機大学理事(平成10年3月まで)
昭和61年(1986)  4月 学校法人東京電機大学理事長(平成10年3月まで)
昭和63年(1988)  4月 日本私立大学協会評議員(現在に至る)
昭和63年(1988)  5月 日本私立大学協会理事(現在に至る)
昭和63年(1988)  8月 日本私立大学協会大学改革特別委員会委員(平成4年3月まで)
昭和63年(1988)11月 日本私立大学協会基本問題研究委員会委員(現在に至る)
平成 元年(1989)  6月 財団法人私立大学退職金財団評議員(平成6年3月まで)
平成  2年(1990)11月 財団法人福田記念医療技術振興財団顧問(現在に至る)
平成  3年(1991)  4月 日本私立大学団体連合会私学予算委員会委員(現在に至る)
平成  4年(1992)  4月 私立学校教職員共済組合理事(平成9年12月まで)
平成  4年(1992)  4月 日本私立大学協会学生生活指導研究委員会担当理事(平成12年3月まで)
平成  5年(1993)  6月 社団法人日本電気技術者協会理事(現在に至る)
平成  6年(1994)  2月 日本私立大学協会常務理事(平成12年3月まで)
平成  6年(1994)  2月 日本私立大学団体連合会代議員(現在に至る)
平成  6年(1994)  2月 日本私立大学団体連合会公費助成委員会委員(現在に至る)
平成  6年(1994)  3月 財団法人私立大学退職金財団理事(現在に至る)
平成  7年(1995)  5月 文部省大学設置・学校法人審議会委員(平成13年1月まで)
平成  8年(1996)  5月 日本私立大学協会関東地区連絡協議会常任幹事(平成12年4月まで)
平成  8年(1996)  5月 日本私立大学協会関東地区連絡協議会議長(平成9年4月まで)
平成10年(1998)  4月 学校法人東京電機大学学園長(現在に至る)
平成10年(1998)  6月 丹羽記念会理事長(平成14年3月まで)
平成11年(1999)  4月 日本私立学校振興・共済事業団私学共済年金制度研究委員会委員(現在に至る)
平成12年(2000)  4月 日本私立大学協会副会長(現在に至る)
平成12年(2000)  4月 文部省大学設置学校法人審議会学校法人分科会長(平成13年1月まで)
平成13年(2001)  4月 東京電機大学名誉教授(現在に至る)
平成13年(2001)  4月 日本私立大学協会大学情報図書館研究委員会担当理事(平成16年3月まで)
平成13年(2001)  5月 社団法人東京電気管理技術者協会理事(現在に至る)
平成13年(2001)11月 日本私立大学団体連合会私立大学将来構想委員会委員(現在に至る)
平成14年(2002)  4月 日本私立大学協会大学経営相談委員会担当理事(現在に至る)
平成14年(2002)  9月 財団法人私学研修福祉会常務理事(現在に至る)
平成14年(2002)11月 日本私立大学協会大学基準問題検討委員会委員(平成16年3月まで)
平成16年(2004)  3月 社団法人日本電気技術者協会樋口賞審査委員会委員長(現在に至る)
平成16年(2004)  9月 社団法人全国日本学士会代表幹事(現在に至る)
平成16年(2004)  9月 財団法人日本高等教育評価機構理事(現在に至る)
【受賞】
平成14年(2002)  4月 勲三等旭日中綬章
平成16年(2004)  3月 日本私立大学協会永年役員表彰

受賞者の業績

氏は、昭和5年8月24日新潟県に生まれ、昭和28年3月東京電機大学工学部を卒業し、同28年4月より嘱託職員として東京電機大学工学部に勤務し、同29年4月東京電機大学工学部助手、同32年6月専任講師、同38年6月助教授、同48年10月教授となり、平成13年3月に嘱託期間満了により退職するまでの約半世紀にわたる期間、技術立国日本における有為な人材育成のために、同大学にて研究と技術者育成の教育に邁進してきた。さらに氏は、昭和58年1月より東京電機大学設置者、学校法人東京電機大学理事に就任、昭和61年4月より平成10年3月までの12年間にわたり、同大学の理事長を歴任し、同年4月からは同大学学園長に就任、さらに同13年4月には東京電機大学名誉教授に推挙され、今日に至っている。
この間、氏は永年にわたって電気工学の教育・研究に努め、氏の専門分野である非線形磁気応用の分野では、氏の恩師であり氏の前任の理事長であった故蓮見孝雄博士を扶け戦後、非線形リアクトルを使用した磁気増幅器が出現するに至り、非線形現象を応用する気運が産業界に現れ始めた頃、いち早くこの非線形リアクトルを含む非線形回路現象を、より広範囲な実用に供するために鉄共振回路として研究し、その普及に努めた。その研究成果は、後に鉄共振形相変換器に関する数々の学術論文として発表し、後進の研究者の参考とするところであった。また、研究成果を「電磁気学」(東京電機大学出版局)として著し、さらに玉川大学百科事典「電気工学部門」並びに「電気工学必携」(三省堂)の出版に参画し、この分野の知識の普及に大いに貢献した。
また、氏は大学行政面において評議員、理事、理事長、学園長として今日の東京電機大学の発展・拡大に努力し、その中心的役割を果たした。特に学内においては、国の臨時教育審議会における数次にわたる教育改革に対する答申、さらにはこれらを受けて改正された大学設置基準の大綱化等の一連の高等教育の改革の流れと機を一にして、氏が中心となって同大学における対応策を検討するための「将来構想企画委員会」を立ち上げ、21世紀を展望しての諸施策を策定し、いち早くわが国の産業界が期待する人材育成に向けて、当時の学長岡村總吾博士と手を携えて、その具体策の実現に努めた。
まず、今後の東京電機大学の教育・研究の高度化・情報化・国際化の面に力を注ぎ、教育・研究の高度化を図るため、長年の懸案事項であった工学部の中心校地不足解消のために、昭和62年大変な努力の結果、千葉県印西市(当時は印西町)に約20.3haの土地を購入し、平成2年4月より工学部第一部の1年次教育を開始した。同時に特色ある教育の1つとして「ものづくり」の原点に帰った授業科目として「ワークショップ」を配当した。ワークショップは今日に至るまで産業界をはじめ、他大学等からも教育効果が顕著である授業科目と高い評価を得ている。続いて大学院の整備・充実計画に着手し、平成2年4月情報通信工学専攻及び電子工学専攻修士課程の設置を皮切りに、同7年4月の建築学専攻博士課程設置まで全学科に繋がる大学院完成の年次計画を陣頭指揮し、高度専門的職業人と研究者養成のための教育環境の飛躍的充実を図った。さらに、教育・研究の高度化を図り技術立国である日本の科学技術に貢献するため、平成9年には千葉ニュータウンキャンパスにハイテク・リサーチセンターを、同11年には鳩山キャンパスにフロンティア共同研究センターを設置するため尽力した。この事業は国の補助金整備事業として認められ、いずれも氏の献身的な努力の結果として実を結んだ事業で、今日の同大学の教育・研究体制の基礎を築いたものである。
続いて、氏はいち早く高度情報化社会の到来が来ることに先見の眼を向け、マルチメディア社会に対応した教育・研究の推進並びに学園全体の電算機システムの統合化、キャンパス間ネットワークなどの最新の情報環境の整備と効果的な運用、組織的な対応を図るために総合メディアセンターを設置した。また氏は、国際社会がますます相互依存の度合いを深めつつある中、本学における国際化の積極的な推進を図り、昭和62年11月には、まず米国アイオワ大学と学術交流協定を締結し、今日までにヨーロッパ、アジア、オセアニアの各地域の大学20校と協定を締結し、教育・研究の相互交流を活発に推進する足がかりを導いた。
一方、氏の学内行政手腕は文部科学省をはじめ、私学関係団体、産業界等からも高く評価された。文部科学省関係の委員としては、特色ある大学・短大づくりが求められるなか、多様化する学部・学科の新増設を審査する大学設置・学校法人審議会委員として、平成7年5月より同13年1月までの3期委員としてその審査にあたり、また同12年4月からは同審議会学校法人分科会会長として、少子化による困難さを増す大学運営の改善等に、その識見を如何なく発揮した。
また、私学関係団体においては、昭和63年5月に日本私立大学協会評議員・理事に就任以来、大学改革特別委員会委員、基本問題研究委員会委員、学生生活指導研究委員会担当理事、情報図書館研究委員会担当理事等の要職を歴任し、平成6年2月には常務理事、同12年4月からは副会長に就任し、さらに日本私立大学団体連合会代議員として私学振興発展のため、その重責を担っている。
さらに、私学関係者にとっては重要な機関である私立学校教職員共済組合理事を平成4年4月から6年間、同6年からは財団法人私立大学退職金財団理事、同14年9月からは財団法人私学研修福祉会常務理事として、私立学校教職員の福利厚生・研修事業に取り組んでいる。
さらに、産業界においては平成2年11月財団法人福田記念医療技術振興財団顧問、同5年6月社団法人日本電気技術者協会理事、同13年5月社団法人東京電気管理技術者協会理事を現在も務め、科学技術社会発展のために寄与している。また、地域社会の活動にも力を注ぎ、平成5年6月には東京小金井さくらロータリークラブの初代会長、同年7月には小金井テレビ(現ジェイコム東京)放送番組審議会委員に就任し、地域振興にも貢献している。
これらの業績により、平成14年4月勲三等旭日中綬章の叙勲を受けている。また、平成16年3月には日本私立大学協会永年役員表彰を受けている。
以上のように氏は、50年の永きにわたり教授及び理事・理事長・学園長として、東京電機大学を通じてわが国の教育界、とりわけ私学の振興に尽力したものであり、この功績はまことに顕著である。

授賞理由

廣川利男氏は、昭和28年より、東京電機大学工学部に勤務し、助手・助教授・教授と平成13年まで約半世紀にわたり歴任し、非線形回路現象の広範な実用に供するための鉄共振回路の研究など、電気工学の研究と技術立国を支える人材の育成に従事してきた。
また、同氏は大学行政面において評議員、理事を経た後、昭和61年より12年間にわたり同大学理事長として大学経営と大学改革の中心的役割を担った。この間、同氏は、国の臨時教育審議会の教育改革の答申と改正された大学設置基準にもりこまれた一連の高等教育の改革の流れに対応するための「将来構想企画委員会」を立ち上げ、その実現を果たすなど、21世紀への同大学の礎を築きあげた。
とりわけ、工学部の拡張や特色ある教育をめざした「ワークショップ」の授業科目の導入、大学院(修士・博士課程)の設置と充実を陣頭指揮し高度専門的職業人と研究者養成の為の教育環境の飛躍的充実を図った。また、高度情報化社会にむけて総合メディアセンターの設置等その設備の拡充を図り、更にはヨーロッパ、アジア、オセアニアの各地域の大学20校との協定締結など国際化の推進をした。そして、その学内行政手腕は内外からも高く評価され、文部科学省においては大学設置・学校法人審議会の委員・同審議会学校法人分科会会長を歴任するなど、ここに同氏の見識は如何なく示された。
更に、私学振興と大学改革の為の各種の要職を歴任しており、少子化とグローバル化の荒波に揺れる私学教育の発展の為に、現在に至るもその重責を担い続けている。また同氏は、私学関係者の福利厚生・研修事業の推進、産業界との科学技術社会発展の為の連携活動を推進し、また地域社会活動等にも惜しみない貢献をし続けてきている。
このように、氏が教育、学術、文化の振興、とりわけ私学の振興等に果たした功績は極めて大きい。


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