Steven Lloyd Leeper【広島平和文化センター理事長】 国際交流部門

受賞年月

平成21年2月

受賞理由

多年、核兵器廃絶に向け広範な活動を展開し、広く世界平和に尽くせる功績

受賞者の経歴

【学歴】
昭和44年(1969年) エッカード大学卒業(心理学専攻)
昭和53年(1978年) ウェストジョージア大学臨床心理学修士課程終了
【経歴】
昭和44年〜47年(1969年〜1972年) 良心的兵役拒否者として認定され、児童治療センター(ウィスコンシン州マディソン)で代替役務を務める
昭和60年(1985年) 広島YMCA英語講師
昭和61年(1986年) 有限会社トランズネット設立。同社取締役
同           株式会社モルテン、英語講師を経てMolten USA海外渉外アドバイザー
平成  1年(1989年) バベル第13 回翻訳奨励賞、和英部門優秀賞
平成  2年(1990年) Molten USA.取締役
平成  3年(1991年) Molten North America取締役
平成  4年(1992年) 日系企業に勤務する米国人のための雑誌Japan-Related(年2回発行)を創刊・編集
平成10年(1998年) グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション(GPA)設立
平成11年(1999年) 第1次インド・パキスタンへの平和行脚を率いる.
平成12年(2000年) 第2次、第3次インド・パキスタンへの平和行脚を率いる。(ウラン鉱山被害に苦しむジャドゴダを初めて訪問)
同           米国先住民と東京から広島までのピースウォークを企画、実施
同           インド・パキスタンの青少年を広島に招待
同           2 001人による平和の祈り集会の運営委員
平成13 年(2001年) 第4次、第5次インド・パキスタンへの平和行脚を率いる。
同           インド・パキスタンの青少年を広島に招待
平成14年(2002年) 平和市長会議米国代表
同           核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会(prepcom)に出席
同           インド・パキスタンの青少年を広島に招待
平成15年(2003年) 財団法人広島平和文化センター専門委員
同           広島市長のNPT prepcom出席補佐(同会議で同市長がNGO代表として述べる英文スピーチ執筆ワーキンググループを統括)
同           広島平和文化センターとエモリー大学の協力を得てエモリー大学(ジョージア州アトランタ)で原爆展を開催
平成16年(2004年) NPT prepcomへの各国市長代表団結成、統括指揮
同           YMCA主催平和キャラバン(暴力文化の国、米国、スリランカ、パレスチナの青年と2ヶ月間全国各地を回り交流)
同           世界社会フォーラム(インド、ムンバイ)に平和市長会議代表として参加
同           インド・パキスタンの青少年を広島に招待
平成17年(2005年) NPT再検討会議開催中の国連における平和市長会議代表会議開催を統括指揮
同           世界社会フォーラム(ブラジル、ポルト・アレグレ)に平和市長会議代表として参加
同           広島市長の全米市長会議出席補佐
平成18年(2006年) 世界都市フォーラム(カナダ、バンクーバー)における平和市長会議主催行事を統括指揮
同           ピースメッセンジャー都市国際協会総会(カナダ、バンクーバー)に広島代表として出席
同           世界都市フォーラム(カナダ、バンクーバー)に広島代表として参加
平成19年(2007年)4月20日 有限会社トランズネット解散
平成19年(2007年)4月23 日 財団法人広島平和文化センター理事長
平成19年(2007年) 地球市民集会ナガサキ、パネリスト
同           ピースメッセンジャー都市国際協会総会(セルビア、クルセバック)に出席
同           都市・自治体連合総会(韓国、済州)に出席
同           全米原爆展実施
同           インド・パキスタンの青少年を広島に招待
平成20年(2008年) 平和市長会議理事会(イタリア、フィレンツェ)に出席
同           ピースメッセンジャー協会役員会に出席(韓国、水原)
同           全米原爆展実施
同           2 020ビジョン・キャンペーン協会理事会(ベルギー、イーペル)出席

受賞者の業績

氏は、1984年に来日、広島において翻訳・通訳業に従事した。そして、翌年には核兵器廃絶のための「平和市長会議」(世界90都市)のための翻訳とその準備資料の収集・整備を委嘱され、行っている。「平和市長会議」は、広島市の荒木武市長(当時)が、1982年(昭和57年)6月24日に、ニューヨークの国連本部で開催された第2回国連軍縮特別総会において、世界の都市が国境を超えて連体し、ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画を」を提唱し、これに賛同する世界各国の都市で構成された団体であり、1990年3月には国連広報局のNGOに、1991年5月には国連経済社会理事会よりカテゴリー�(現在は「特殊協議資格」と改称)NGOとして登録されている。
一方、1986年からは、(有)トランズネット(翻訳・通訳業)取締役として、同時に⑭モルテンの渉外アドバイザーとして、地元の大手自動車企業マツダ株式会社と米国とのコンサルタントに従事している。(~97年)この間、日本企業で働く米国人のための雑誌を年2回発行し、日本企業文化と米国文化との違いなど、日米の調整活動を仕事の現場の視点で行っている。(1991年~93年)
1997年には、社会貢献と平和活動をすることを決意し、仕事の傍ら、生活の半分を平和活動に当てている。翌年(1998年)には、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)関係者らとグローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション(世界平和運動家協会)を設立・主宰し、広島から英語で世界に、被爆者の証言や反核平和運動を紹介する活動を展開している。そして、同年5月には核保有国となったインド・パキスタンに被爆者一行を伴って訪問し、英語で、核の脅威と反核・平和教育の意義を訴えている。その後、インド・パキスタンには1999年、2000年に2回、2001年に2回と広島市民を伴って訪問し、被爆者による英語での証言と反核平和展示会を開催している。
2001年、氏は米国アトランタに帰国していたが、広島市の秋葉忠利市長より要請を受け、NGOである「平和市長会議」事務局ニューヨーク連絡員として、国連本部のあるニューヨークにおいて広島市がより積極的に反核・平和活動を訴えることができるよう精力的に活動を行っている。この広島市の取り組みは、各国政府と民間の草の根活動を繋ぐ重要な活動であるとして、国連およびその周辺の各国NGOから高い評価を得ている。
2003年、氏は広島市の(財)広島平和文化センターの専門員に就任する。11月には、「核兵器禁止の緊急行動」として、各国のNGO,平和活動家、または国連軍縮会議へ、更には各国の都市によって構成される「平和市長会議」のメンバーに、そのメッセージを伝えている。このような活動を通じて、同氏の人脈は活かされ、その後の米国各地における「全米原爆展」の開催の実現に繋がっていく。
2007年4月、氏は、23年前からの広島を拠点とした日米両国ならびに各国への反核・平和運動の実績が評価され、広島市の要請により反核・平和文化活動の拠点である(財)広島平和文化センターの理事長に就任する。同年10月には、広島市が1年半がかりで展開する全米101都市での開催をめざす「全米原爆展」構想を発表し、既に1月には5州9都市の開催の陣頭指揮をとり、11人の被爆者も同伴している。更に今後43都市の開催も決め本格的な始動を行うと発表した。一般的に、米国の人々は、戦前の日本の軍国主義への反発もあるが、多くの人々は好意的・親日的で、とりわけヒロシマ=原爆の話は誰もが知っており関心も高いという。米国一般の人々の反原爆活動への支持も高く、展示会への要求も高いといわれる。広島市は、年2回の各国での大きな展示会も開催しており、2008年9月にはブラジル・サンパウロ市においても大規模な展示会を実現している。
なお、反核を提唱する「平和市長会議」は、現在133カ国、2536都市に増加し、2020年までの核兵器廃絶をめざす「2020ビジョン」にも取り組んでおり、その一環として「都市を攻撃目標にするなプロジェクト(Cities Are Not Targets)」などや、「全米原爆展」の実現などの新たな活動を展開している。現代社会は、地球温暖化や人口問題・食料問題を含む地球環境の悪化の進行による人類絶滅の危機も高まっているが、他方、核兵器使用による平和破壊の危機にも瀕している。氏は、このような世界を後ろ盾に、「競争原理」より「協力原理」を優先し、「核兵器廃絶」に向けて都市が結束すべきであることを訴えている。また、小型核兵器の使用はこの5年間が最も危険であると警告し、核兵器廃絶運動に献身的に取り組んでいる。
氏は、今後もインターネットを活用し、より広くヒロシマのメッセージを各国に伝えたいと意欲的である。また、「広島長崎議定書」(ジュネーブで開催された核非拡散条約(NPT)予備会議の会期中に採択され、各国の核非拡散条約担当代表に対し、今後の10年で「核廃絶のための確固とした取り組み」を要求している。)を世界の人々に知らせ、「2020年ビジョン」の実現に向けて、募金活動も含めた活動を展開している。氏は、これまでの「反核・反戦平和」運動は、「平和」こそが社会と経済システムの重要な基盤であると主張してきたが、今後は、現実の競争原理が生み出した「戦争文化」から、世界は「平和文化」へと移行しなければならないことをより強く主張すべきであるとし、その「平和文化」の第一歩こそが核兵器の廃絶にある!とし、長期的には暴力での支配の廃絶という人類の生き様を求めることである、と訴えている。
このように、氏の我が国および世界各国における反核・国際平和活動における功績は極めて大きい。

授賞理由

氏は、長年にわたり反原爆・平和活動に従事し、とりわけ広島を拠点として、被爆者との交流を深めながらその証言を世界に広めてきた。更には広島市が主宰する「平和市長会議」の活動を米国ならびに国連において更には各国に紹介し、核兵器廃絶と平和のあり方を訴えてきている。
その活動は、誠に意義深く、唯一の被爆国である我が国の人類平和への希求の精神を広く世界に伝えるのみならず、今日の世界情勢の中で、各国の人々の平和活動に大きな貢献と指針をしめしている。
このように、氏の平和活動を通じた国際交流の振興、とりわけ世界平和への貢献に果たしている功績は極めて大きい。
なお氏のご尊父は、洞爺丸事故(1954年9月26日・北海道函館港外で青函連絡船洞爺丸が台風を受けて転覆し、1155名が死亡した事故)において、救命具の故障した邦人女性に自らの救命具を与え、その結果、死亡されている。
このように、2代に渡る人道主義・平和主義の精神に対し、深い敬意と大きな尊敬の念を表すことを特に付記したい。


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