私を変えたできごと  周 蓉

  「頑張ってね!あなたなら絶対できる!絶対にみんなの期待に背かないでね!」
それは、子供の頃からいつも、先生や両親に言われた言葉です。その後、幼稚園、小学校、中学校と頑張って、憧れの高校に合格し、「やっぱり私なら、何でもできる。さあ、明るい未来が私を待っているわ」と自分に語りかけました。その年の夏休みは優越感に浸って、調子に乗っていました。しかし、新学期が始まると、厳しい現実が待っていました。クラスメートはみな、各地方から選ばれたエリートたち。成績だけでなく、ピアノもギターも、スポーツも、なんでもできるスーパーエリートでした。
「私はみにくいアヒルの子」と思いはじめ、次第に自信を失っていきました。それでも、何度も自分を励まし、夜中まで勉強したり、楽器やスポーツに挑戦したりしましたが、やってもやってもできない自分が、情けなく思いました。
 両親はがっかりした顔をせず、毎日励ましてくれました。ある日曜日、母が、「気分転換に山登りに行かない」と誘ってくれました。私たちはわくわくしながら、いろいろなものを用意して、大きなリュックを背負って、山登りに出かけました。しかし、たった二十分登っただけで「はあはあ」と喘ぎ声を出し、足を引きずりながら歩き始めました。私は「せっかくの休日、家で休めば良かった」と後悔しました。その時、後ろから一人のスポーツウエアを着た、60歳ぐらいのおばあさんが軽やかな足取りで私たちを追い抜ました。そして、そのおばあさんが私の方を振り返り、微笑んでこういいました。「おねえちゃん、リュック、重いだろ。もちすぎよ。山登りは、水だけでいいの。」そう言ってから、また歩き出し、おばあさんの姿は、あっという間に山の中に消えていきました。
「持ちすぎ?」
 私はそうつぶやき、背負っていたリュックをいったん卸すと、もちろんのこと肩は急に軽くなりました。そして、「荷物の持ちすぎで、前に進めなくなっている姿は、私の心の状態を表しているのではないか」と気付きました。みんなの期待に応えようと、いつも周りの人たちと比べて、より重い荷物を背負ことが優秀な人間の生き方だと思っていたのです。
 競争が激しい超スピードの時代の中で私たちは、みな生きていくために一生懸命頑張っています。そのため、周囲の期待や地位など、背負う荷物も多くなり、精神的肉体的な重圧からストレスが溜まって、結局、前には進めずに、そこで倒れてしまいます。情けない若者と笑われてしまうかもしれませんが、わたしも知らず知らずのうちに、同じような状況に陥っていたのです。そう気が付いた時、肩の荷が下りました。その後、どんなに勉強しても、勉強が苦しいとか、辛いとか、思うようなことがなくなり、何か一皮むけたように感じました。世間の評判や評価を気にせず、自分なりの道を歩いていけば、本当の明るい未来を、自分の手で築くことができるのではないかと思いました。
 これが、私を変えた出来事です。
ゼロから始める。それは、山登りから帰ってきた私が毎日心がけていることです。
 今の私は、何かをするとき、すべてゼロから始めることにしています。荷物を降ろして、以前の成績などを忘れて、「自分は何者でもない、ただの自分だ」ということを心に刻んでいます。
 マルサ・スチュワートが次のように述べました。「毎日ゼロからスタートして、どれほど達成できたかを振り返る。このチャレンジに、私は夢中だ。」と、ここに立っている私も、そんな人間になりたいと思っています。「何でもあるから、何も手に入らない。何もないからこそ、何でも手に入る。」この信念を持ち、これから私を待っている長く、険しい山道を、あのお婆さんのように登り続けたいと思っています。
周 蓉
西安外国語大学


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