私と一冊の本  由振亮(西安電子科技大学))

皆さんは、「平凡」という言葉から、何を思いつきますか。「平凡」とは、特にすぐれたところや変わったところがなく、ありふれていることだと思れれるでしょう。以前の私は、平凡なことはみなことだと思っていました。「平凡な生活」は、毎日変化がなく、同じことを繰り返す生活で、「平凡な人」は、将来の見込みがない人だと考えていました。例えば、サラリーマンが毎朝お弁当を持って出勤し、残業して夜遅くに家に帰るということは平凡です。また、田舎出身の人の将来は、きっと有望ではないということも平凡です。

 中学生の時の私は、人間と運命との戦いは、公平なわけがないと思っていました。なぜなら、いつも人間はどんなに努力しても、運命を変えられないことがほとんどだからです。私が住んでいる村では、多くの人は家庭の貧困が原因で、途中で学校を退学しなければなりませんでした。もし、退学しなくても、従来大学に受かったことがありませんでした。ですから、将来私もそうなるに違いないと思っていて、平凡でいい加減な毎日を送り、自分の生活を勉強ではなく、小説に託していました。

 神様はそんな私をかわいそうに思ってくれたのか、ある日偶然「平凡な世界」という本を読ませてくれました。

 千九百八十年代の中国は、文化大革命が終わったばかりで、貧しくて立ち後れていました。主人公の「」は、その時代に生きていた一人の平凡な若者です。彼は、自分の平凡な運命と貧乏な生活を変えようと思い、一生の間に、きりがないほどの苦難を経験しました。その厳しい時代において、彼は平凡でした。しかし、彼は一度も平凡に甘んじませんでした。なぜなら、彼は、平凡を抜け出したかったのです。苦難に直面した時、彼は何度も何度もつまずいて転びましたが、そのたびに困難の道を登り始めました。そのときの彼の意志は、どれほどだったことでしょうか。平凡ながらも、その平凡さに甘んじることなく、その中で努力し続ける精神と強靭な意志は、私を深く感動させました。私は彼と同じように平凡な人間ですが、平凡にせずに、奮闘してこの平凡な世界を抜け出さなければならないということを、この本は教えてくれました。そして、予め定められた運命を変えるには、どんな結果になっても絶対に大学に合格するために頑張るべきだと決心しました。それ以来、私は勉強に打ち込み、毎日の生活もまじめに過ごすようになりました。さらに、自分に苦難を味わわせて、それを乗り越えるようなことさえもしました。 その時から四年後、私はついに運命に勝って、大学に合格しました。

 今の私も平凡な大学生で、毎日平凡な生活を送っています。しかし、私は平凡の中で、ずっと努力し続けています。優秀な成績を納めて卒業することや、いい仕事を見つけること、幸福でい生活を送ることなど、いろいろなことをいつも自分の中で追及しています。すると、一つ、又一つと意外な喜びが現れてきました。それとともに、そのような平凡な生活が、実は充実していて、幸せだと感じるようになりました。平凡な中で絶えず努力している人は、実はもう平凡な人ではなくなっていることを悟りました。私はそのような平凡こそ、「本当の平凡」だと思います。

 人間は、皆平凡の中で生きています。しかし、自分の力でその平凡さを変え、ようと日々努力することが、人生において一番重要ではないでしょうか。


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