私を変えた出来事  董 偉

 強くなりたい、私はただこの一念で、合気道を始めました。
 大学に入って、すぐ、私は大きな期待を持って合気道の道場を訪ねました。
 ところが私が目にしたのは「武道」とは思えない不思議な光景でした。まるで日本舞踊のようなゆっくりした動きを見て、「何?これ!まるで踊りじゃん。」と思わずそう呟いてしまいました。すると、「ここに来て、私の腕を、つかみなさい。」と先生に言われました。突然のことで、私がとまどっていると、「こっちに来て、早く!」と先生からもう一度促され、私は言われた通り、力いっぱい先生の腕をつかみました。すると思いがけないことが起こったのです。腕をつかませたまま、先生がゆっくり体を捻ると、私の力がすうっと抜けていくのを感じた、その時、腕に激痛が走りました。「痛ててて、放して!」これが合気道なのです。
 相手の力を利用して、逆に相手を攻撃する関節技なのです。腕力の弱い者でも、力の強いものを倒すことができる。「これだ!」長年探し求めたものに出会えた喜びと、崇敬の念とを持って、私は合気道に打ち込む決心をしました。
 習い始めて一年、わたしは自分が強くなったと実感できるようになりました。ある日、私は些細なことで友人と口論になりました。以前の私なら、悔しくても、じっと我慢するほかなかったのです。その時私は、負けるはずがないという自信から、相手に暴力を振ってしまったのです。
 「君、なぜ、合気道をやっているんだ。」そんなある日、突然、先生に聞かれました。「強くなりたいからです。」私は胸を張って答えました。「強くなるとはどういうことか、自分の気に入らないものを力で押さえつけて、いい気分になることか?」私は返事に困りました。「君には、合気道は合わない。」と先生は突き放すように言われました。
 その瞬間、私は先生に向って、叫んでいました。「先生、先生はいじめられたことがありますか。いじめられた者の、惨めな気持ちが分かりますか。どんなにいじめられても抵抗できない悔しさが分かりますか。」「君の言いたいことは分かる。しかし、君は間違っている。もういじめられたくないと思って強くなること、それは難しいことではない。問題は、自分の欲望をどれだけ抑えることができるかなのだ。君には憎い相手に対する恨みだけがあるのではないのか。」私は、はっとしました。私は攻撃の練習の時、自分が危険な目に逢うことを常に想定して、相手を敵だと考え、攻撃していました。相手が負けを認めると、快感さえ覚えていたのです。ところが、逆に私が受け身の時、攻撃側の相手は私が「痛い」という表情を見せると、さっと力を抜いてくれました。これが合気道だったのです。「やられたらやり返す」―私は何とバカなことを考えていたのか、それでは、自分は相手と同じレベルの人間ではないのか、―私は心の底から、自分が恥ずかしくなりました。
 それから、私の練習は、今までと全く違ったものになりました。攻撃の時も相手の立場に立って必要以上の攻撃はしない、どんな危機に直面しても、平静心を失わず、冷静に対処する、そんな自分を目指して、練習できるようになりました。私は、この考えを、合気道だけではなく、私がこれから生きていく上での指針にしたいと思っています。
 ご清聴ありがとうございました。


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