中西 進【京都市立芸術大学名誉教授】 文化部門

 

受賞年月

平成24年2月

受賞理由

日本の古典研究に新生面を拓く一方、日本人のエトスを明らかにし、日本文化の歴史的な展開をアジア的な見地から指摘した業績

受賞者の経歴

【現 職】
京都市立芸術大学名誉教授
京都市中央図書館長
堺市博物館長
奈良県立万葉文化館長
富山県立高志の国文学館長
【学 歴】
昭和28(1953)年 東京大学文学部国文学科卒業 文学士
昭和30(1955)年 東京大学大学院文学研究科修士課程修了 文学修士
昭和34(1959)年 東京大学大学院文学研究科博士課程修了
昭和37(1962)年 東京大学文学博士
【教授歴】
昭和45(1970)年 成城大学文芸学部教授
昭和59(1984)年 筑波大学歴史人類学系教授
昭和62(1987)年 国際日本文化研究センター教授(現在 名誉教授)
平成  7(1995)年 帝塚山学院大学教授、国際理解研究所所長
平成  9(1997)年 大阪府立女子大学長(現在 名誉教授)
平成13(2001)年 学校法人帝塚山学院学院長・理事長
平成16(2004)年 京都市立芸術大学長(現在 名誉教授)
平成23(2011)年 池坊短期大学長
【客員教授(海外)】
プリンストン大学、トロント大学、サンパウロ大学、カレル大学、復旦大学、天津師範大学、鄭州大学、蘇州大学、
中国社会科学院、在中国日本研究中心、高麗大学
【兼任講師】
京都大学、大阪大学、神戸大学、兵庫教育大学、名古屋大学、広島大学、静岡大学、金沢大学、富山大学、
東京電機通信大学、東京学芸大学、静岡県立女子大学、日本大学、上智大学、二松学舎大学、藤女子大学、
ノートルダム清心女子大学、広島女学院大学、サイバー大学
【学会活動】
平成  5(1993)年    日本比較文学会会長
平成  8(1996)年    東アジア比較文化国際会議会長(現在 名誉会長)
平成11(1999)年~現在 全国大学国語国文学会会長
【審議会等】
平成  3(1991)年~平成10(1998)年 国語審議会委員
平成  9(1997)年~平成17(2005)年 日本学術会議会員
平成15(2003)年~現在        日本ペンクラブ副会長
平成16(2004)年~平成22(2010)年 中央教育審議会委員

平成  6(1994)年 宮中歌会始 召人

【賞・章・顕彰等】

平成16(2004)年 文化功労者 顕彰
平成17(2005)年 瑞宝重光章 受章

昭和38(1963)年 東京大学国語国文学会賞 (『万葉集の比較文学的研究』に対して)
昭和39(1964)年 第15回読売文学賞(同上)
昭和45(1970)年 日本学士院賞(同上及び『万葉史の研究』に対して)
平成  2(1990)年 第3回和辻哲郎文化賞(『万葉と海彼』に対して)
平成  9(1997)年 24回大佛次郎賞(『源氏物語と白楽天』に対して)
平成14(2002)年 京都新聞文化賞
平成16(2004)年 奈良テレビ放送文化賞(「万葉のこころ旅」の放送に対して)
平成20(2008)年 京都市特別功労顕彰
平成22(2010)年 菊池寛賞(「万葉みらい塾」に対して)

平成  8(1996)年 中西進・周一良編集『日中文化交流史叢書』全10巻 (日本版・大修館書店、中国版・浙江人民出版社)
に対して、アジア・太平洋出版連合(APP)出版賞金賞

【著 作】
『中西進 日本文化をよむ』(全6巻、単著12点12冊を収録。小沢書店 1994 ~ 1996)
・『詩心往還』河出書房新社 昭和50(1975)年
・『雪月花』小沢書店 昭和55(1980)年ほか
『中西進 万葉論集』(全8巻、単著9点13冊を収録。講談社 1995 ~ 1996)
・『山上憶良』河出書房新社 昭和48(1973)年
・『万葉集原論』桜楓社 昭和51(1976)年ほか
『中西進著作集』(全36巻、単著55点71冊を収録。四季社 2007 ~ 2012)
・『万葉集全訳注』(全4巻)講談社 昭和53(1978)年~昭和58(1983)年
・『古事記をよむ』(全4巻)角川書店 昭和60(1985)年~昭和61(1986)年
・『大伴家持 万葉歌人の歌と生涯』(全6巻)角川書店 平成6(1994)~平成7(1995)年
・『古代文学の生成』おうふう 平成19(2007)年ほか
他に未収録の単著13点15冊。別に中国語版単著4冊
・『古今六帖の万葉歌』武蔵野書院 昭和39(1964)年
・『傍注万葉秀歌選』(全3巻)四季社 平成15(2003)年ほか

受賞者の業績

氏の研究業績はおよそ次の4点に見られる。

(1)日本古典の比較文学的研究
氏が昭和38(1963)年に刊行した『万葉集の比較文学的研究』(桜楓社)は、当時まだ広く認知されていなかった比較文学の方法をいち早く『万葉集』に適用、中国文学との関連から『万葉集』を考察したもので、従来とはまったく異なる『万葉集』の価値を提出して世間の注目を浴びた。以後、今日の学界に到っては必ず中国文学を視野に入れて『万葉集』を論ずる傾向にあり、大きく研究方法を変えたものであった。一方で比較文学的研究が歴史的な研究方法と考えられることから、氏は『万葉史の研究』(桜楓社 昭和43(1968)年)を刊行したが、さらに中国文学を引用する方法とは作家による新しい文脈の構築であると理解し、その上での作品成立を考えるという、新しい深化した視野を開拓、これを『源氏物語』の成立において考えた『源氏物語と白楽天』(岩波書店 平成9(1997)年)を刊行した。これも従来の『源氏物語』研究を一変させるものとして学界に大きな震動を与え、以後『源氏物語』を優雅なロマンを夢見た物語と見ることが影をひそめた。
(2)日本人のエトスの研究
以上のような氏の研究が多分に文献重視、書誌的研究への批判を含んでいるように、氏の関心はそれぞれの時代に生きた人間によく多く注がれている。その点を中心として日本人がいかなるエトスを持つかにも氏の関心が深まり、幾つかの名著を生むに到った。すなわち愛について『日本人の愛の歴史 古典の主人公たち』(角川選書 昭和53(1978)年)、漂泊について『漂泊 日本的心性の始原』(毎日新聞社 昭和53(1978)年、狂について『狂の精神史』(講談社文庫 昭和62(1987)年)、死について『辞世のことば』(中公新書 昭和61(1986)年)、『日本文学と死』(新典社 平成元(1989)年)、神話について『神話力 日本神話を創造するもの』(桜楓社 平成3(1991)年、笑いについて
『中西進と読む「東海道中膝栗毛」』(ウェッジ 平成9(2007)年)がある。また、日本人のエトス全体を見るものがロングセラーの『日本人の忘れもの』(全3冊 ウェッジ 平成13(2001)年~平成16(2004)年)であろう。 以上の考察を通して、日本という国がおかれた宗教上、行政上、また自然環境上の諸条件がエトスと密接に作用していることが明らかにされた。そこでこれらの諸条件の中で構成される日本文化形成
の実態がやがて氏の研究対象となるプロセスが看取される。
(3)日本人の心の歴史の考察 そこで氏は、日本人の心が辿った歴史の素描を大胆に試みる。それが『国家を築いたしなやかな日本知』(ウェッジ 平成18(2006)年)、『日本人意志の力』(ウェッジ 平成21(2009)年)、そして総論である『こころの日本文化史』(岩波書店 平成23(2011)年)である。ここでは縄文、弥生時代を見通した後、5世紀から26世紀までの日本が700年を単位とした情、知、意の文化を築くという仮説が提出されている。これについては、つとに東京大学金澤一郎教授が伊藤正雄教授との説との一致を表明され、すでに文理を越えた検証が行われようとしている。
この説では特に現代における意志力の要請、道徳心の欠如が指摘されており、時宜を得た貴重な学説というべきであろう。
(4)アジアにおける日本の研究
さらに氏は以上の歴史的な吟味に加えて、アジアにおける日本の位相から日本文化の形成を見ようとしている。その一つはインドから日本にかけての文明の移動がどのように行われたかの研究であり、移動のアンカーとしての日本が豊潤な風土による、和歌を中心とする文化を築いたとする。『うたう天皇』(白水社 平成23(2011)年がそれであり、先立って刊行された『日本の文化構造』(岩波書店 平成22(2010)年)における日本文化の南北構造もその一環をなす。また氏がシンポジウムの席上で、インドの想像力、中国の論理力に対して、これらを収束する日本の感傷力をあげたことも記憶に新しい(日本経済新聞 平成21(2009)年10月10日朝刊)。
従来は、日本文化を東西構造つまり京と江戸という形で考えようとしてきたが、この視野の狭隘さを脱して広くアジア全体から、しかも風土的条件から見るのでなければ全貌はわからないと考えるのが氏であり、ここには文化論を一歩進める着目がある。他にも氏は汽水文化という造語をもって、太古、汽水圏に重要な文化拠点があったことを新たに指摘している。

社会的な功績
なお氏は、2003年から8年間にわたって日本全国66校の小・中学校を廻り、「万葉みらい塾」なる講義をしてきた。感性教育をより早くからすべきという主張によるもので、これも高い評価を受けた。氏の『万葉集』全巻の注釈書は文庫の形をとって社会にこの古典を広く開き、30年間のロングセラーとなっている。さらに氏は要請のままに、80歳をすぎてなお学長職、会長職を繰り返し勤め、それぞれの運営への協力も惜しまない。いずれも社会的実践を重視する研究者として、貴重というべきであろう。

かくして氏は現代国文学界の象徴的存在といえる。


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