受賞年月
平成16年2月
受賞理由
多年、音楽を通して広く国内外の音楽芸術文化の普及振興に尽くした業績
受賞者の経歴
【学歴】
昭和34年 3月 明治大学付属明治高校卒業
【職歴】
昭和31年 古賀政男氏に師事
昭和34年 日本コロンビアレコード専属歌手 LP「フラメンコスタイル・コガメロディー」でレコードデビュー
昭和36年 トリオ・ロス・パンチョスに贈られた「その名はフジヤマ」大ヒット
昭和39年 NHK-TV「歌のグランド・ショー」の司会を務める。
昭和43年 音楽・ショーの勉強のため世界一周旅行
昭和43年12月 東京・日比谷公会堂で第2回リサイタルを開催
昭和51年 アントニオ・古賀ギター歌謡学院開校院長就任
昭和53年 NHK教育テレビ「ギターをひこう」講師担当
昭和54年 NHK文化センター「ギター教室」講師(平成元年まで)
昭和54年 NHK教育テレビ「ギターをひこう」の講師を担当
昭和56年 テレビ東京「人間が好きだ」のレギュラー司会担当
同 北陸放送「日本列島ここが真ん中」に準レギュラーとして出演
昭和58年 KBS京都「アントニオ・古賀ギター道場」レギュラー出演
昭和58年 NHK教育テレビ「ギターをひこう」の講師を担当
昭和60年 テレビ愛知「体感テレビ25」レギュラー司会
昭和60年11月 メキシコ大地震救済チャリティコンサートに出演
昭和63年 テレビ東京「わが心のうた」レギュラー歌ゲスト出演
平成 4年 A・Kプランニング代表取締役(現在に至る)
平成 6年 古賀政男生誕90年によせて、芸能生活35周年コンサートを開催
平成 9年 5月 「日本人メキシコ移住100周年記念コンサート」を開催
平成10年 5月 「日本人キューバ移住100周年記念コンサート」を開催
平成10年 9月 「日本人アルゼンチン移住100周年記念コンサート」を開催
平成10年 本格的に作曲家としてデビュー「古城の四季」作詞星野哲郎・作曲アントニオ・古賀
平成12年 東京厚生年金ホールにて、芸能生活40周年記念コンサート「ドリームハープ」を開催
平成12年 米国(カリフォルニア)、日米劇場にて、芸能生活40周年チャリティーコンサートを開催
平成12年 キューバ共和国にて、カストロ議長と対談
平成13年 8月 キューバ共和国にて、文化交流コンサート開催
【公職歴】
昭和56年 まじめふまじめ人間大集合 全国代表世話人
昭和62年 社団法人日本歌手協会 理事長を務める(~昭和63年まで)
昭和63年 (財)古賀政男音楽文化振興財団 理事就任(現在に至る)
昭和63年 日本ラテンアメリカ音楽協会 理事長就任(現在に至る)
平成 2年 日本ホスピタリティ推進協会 会員
平成 6年 原宿ロータリクラブ 会長(1年間)
平成 8年 ≪高齢者文化振興事業団≫社団法人虹の会 理事就任
平成14年 社団法人虹の会 理事長就任(現在に至る)
平成14年 NPO法人日本災害援助 理事長就任(現在に至る)
【受賞等】
昭和36年 LP「アントニオ・ラテン・ギター」LPヒット賞を受賞
昭和36年 アントニオ・古賀ギターソロアルバム「荒城の月」ゴールデンディスク賞受賞
昭和41年 LP「アントニオ・ラテン・ギター」LPヒット賞を受賞
平成 7年 国際ロータリー財団米山上功労賞受賞
平成 8年 国際ロータリー財団ポールハリスフェロー受賞
平成 8年 キューバ共和国より文化功労賞受賞
平成13年 キューバ共和国国家評議会より日本キューバ友好勲章
【著書】
平成 3年10月 「泣いたらチンチン切っちゃうぞ」出版
平成11年11月 「まじめふまじめ人間大集合」出版
受賞者の業績
氏は、8歳からクラシックギターの修行を始め、昭和33年(1958年)17歳で古賀政男氏に内弟子として入門を許された。 翌年、18歳の時、古賀政男氏にギターの音色を認められた氏は、古賀政男氏の音楽の師であるアルゼンチンのギタリスト・アントニオ・シノポリー氏の名と師匠の名から、「アントニオ・古賀」の名を授けられる。同年、昭和34年(1959年)に氏は初めて、LPレコード/フラメンコスタイル・古賀メロディを出し、初ヒットを得る。
昭和39年(1964年)にNHKテレビ「歌のグランドショウ」の司会としてレギュラー出演をし、これを契機に全国にその名を知られ、音楽界への存在感を増して行く。その間、氏は古賀政男氏から受けた温かい指導を糧に、聴衆者との真剣な接点である「クラブ演奏」と「舞台演奏」を一貫して続け、その現場の人々の反応、その心(ココロ)を学び、今日までの「人生はハーモニー」の土台を築き上げて来たという。
昭和54年(1979年NHK教育テレビ「ギターをひこう」にレギュラー出演したことを契機に、全国の中学・高校を訪問し、「人生はハーモニー」をスローガンとした音楽指導活動を展開していく。ギターの一弦の音、二弦の音、そして数弦のハーモニーは、人間一人ひとりの正に「個性と調和」に他ならない、とギターの音色と心で説いた音楽指導は、全国の中高生に素直に受け入れられていった。そして、昭和56年(1981年)テレビ東京「人間が大好き」出演を契機に、氏は、本格的な独自の「音楽公演」を初めていく。
このように、氏の活動は音楽界・芸能界において高い評価を受け、そうした中、昭和62年(1987年)には、社団法人日本歌手協会の理事長に就任する。氏は、個性豊かな歌手協会の中にあって、歌手の権利や福祉の確率にむけ精力的な取り組みを行い、今日の協会運営の基盤作りを行っている。
翌、昭和63年(1988年)には、日本ラテンアメリカ音楽協会理事長に就任し、ラテンアメリカにおける音楽教育基金づくりの活動に取り組んでいる。そして、平成8年(1996年)キューバに同協会活動の一貫として、キューバの音楽学院にピアノ一台を寄贈し、その折にハバナの学校の幾つかを訪問した。その時、キューバの子供達の使用していたピアノは実に粗末であり、かつ子供達の音楽を学ぶ熱意は非常に高いことに氏は驚いている。また氏は、与えられた楽器の劣悪さの為、努力をしても、純粋に「音」に対する感覚が劣っていることに深い悲しみを感じたという。革命後40数年を経たキューバでは、かってエレネストレクウォーナーという世界的になピアニストであり作曲家を誕生させた国として、子供達がなかなかその機会に恵まれず、素晴らしい芸術家が育っていないという。その現状を見た氏は、キューバの子供達に出来る限りのピアノを贈りたいと思い、独自にアントニオ基金を立ち上げ、コンサート開催毎の千ドルプールなどひたむきな努力を続ける傍ら、日本国内で使われなくなった数多くのピアノを寄付してもらい、それをリメイク(修理)し、キューバからの舟に3台5台と贈り始めたという。これが外務省の草の根無償援助と認められ、これらも弾みとなり、また日本キューバ交流100周年時(平成10年)のカストロ議長との約束を契機に、独自のファンド創設以来、昨年にはついに合計100台のピアノ贈呈を達成している。
授賞理由
氏は、8歳からクラシックギターの道に進み、17歳にて音楽界の巨匠・古賀政男氏に師事し、18歳でアントニオ古賀としてデビューを果たし、長くその音楽活動を営んできた。氏の活動は、師の「音楽は和なり」という言葉を基本に、更に、音楽を通した人間社会への伝導者として「人生はハーモニー」という言葉を掲げ、数々の講演や高齢者・特別養護老人ホームへの慰問活動、沖縄の離島をはじめ多くの地方への音楽講演活動を展開し、人々に思いやる心を伝えてきた。
とりわけ、ラテンアメリカのキューバにむけて、音楽機材に恵まれないキューバ子弟の為に合計100台ものピアノを贈呈している。氏の音楽の心(ココロ)は純粋に、音楽を通して世界の人々とより理解を深め共に平和を分かち合おうという正に「人生はハーモニー」であると言える。
よって氏の長年に亘る音楽を通じた文化芸術活動は、人々に生きる喜びと希望を与えており、広範な人々から支持されてきた数々の業績は顕著である。