服部 匡志【ハノイ国立眼科研究所客員教授】 社会部門

受賞年月

平成20年2月

受賞理由

多年、東南アジアにおいて眼科手術の提供と指導を通じて深く国際交流に寄与した功績

受賞者の経歴

【学歴】
平成5年(1993) 京都府立医科大学医学部卒業

【職歴】
平成  5年(1993) 京都府立医科大学眼科レジデント
平成  6年(1994) 多根記念眼科病院勤務(大阪)
平成  8年(1996) 愛生会山科病院勤務(京都)
平成  9年(1997) 出田眼科病院勤務(熊本)
平成10年(1998) 聖マリア病院勤務(福岡)、海谷眼科(静岡)
平成14年(2002) ハノイ国立眼科研究所、網膜硝子体手術指導医として赴任
平成16年(2004) ハノイ国立眼科研究所客員教授

【ベトナムおよび周辺諸国における主な眼科医療活動暦】
●2002年~ 2003年
ベトナム:
・ハノイ国立眼科研究所、ホーチミン市立眼科病院、ハイフォン眼科センターを主な活動場所として眼科の医療技術の教育・指導を開始。
・ベトナム各地の眼科医療の実態を視察し、眼科医療サービスの発展のために各地で教育・指導を開始すると共に、貧困者に対して無償手術を実施する。(約1800人)
●2004年~ 2005年
タ  イ:タイの保健省より要請があり、バンコクをはじめ各地の大学病院にて最新の眼科医療技術の教育研修プログラムを実施し、タイの眼科医師の育成に寄与する。
ベトナム:
・ベトナムで本格的な網膜硝子体センター設立運動を始め、同分野の眼科医師の育成と指導にも力を注ぐ。
・ハノイ国立眼科研究所・ホーチミン市立眼科病院・ハイフォン眼科センター・フエ眼科センターにて貧困者に対する無償手術(約1500人)
・ ビンフック省貧困地域にて無償白内障手術(187人)
・同ハイフォン省の貧困地域キエンチュイ地方にて無償白内障手術(98人)
・同フンイエン省の貧困地域にて無償白内障手術(25人)
・同フエ省の貧困地域にて無償白内障手術(124人)
●2006年
ラオス:ラオス眼科病院を視察し、同病院と失明予防活動について協議し活動を開始すると共に、ラオス貧困地域にて無償手術を実施(30人)
ベトナム:
・国立眼科病院にて貧困者に対する無償手術(644人)
・ 同・ハイフォン省の貧困地域にて無償白内障手術(50人)
・ 同・ビンフック省の貧困地域にて無償白内障手術(172人)
・ 同・クアンニン省の貧困地域にて無償白内障手術(120人)
・ 同・フエ省の貧困地域にて無償白内障手術(151人)
・ 同・テインクワン省の貧困地域にて無償白内障手術(151人)
この間、更にベトナム政府要人ならびに病院関係者らとの懇談と協議を行っている。
●2007年
インドネシア: 北シュラウエシ島の貧困地域にて無償白内障手術(175人)をするとともに現地医師らの教育・指導を行い、現地の眼科医療サービスの向上に力を入れる。
ラオス:貧困地域にて無償白内障手術(45人)を実施するとともに、ラオス国立眼科病院にて、現地医師らに対して眼科医療技術の向上のために研修プログラムを実施する。
キューバ:キューバより要請があり、キューバ最大のラモン・パルド・フェレール眼科病院にて、最新の網膜硝子体手術の教育研修プログラムを実施する。
ベトナム:
・フエ省にて、ベトナム中部地域眼科医師に対して白内障手術教育研修プログラムを実施し、中部地域の眼科医療サービス向上にも力を注ぐ。
・国立眼科病院にて貧困者に対する無償の手術を実施(344人)
・同・クアンニン省の貧困地域にて無償白内障手術(225人)
・同・中部地域の貧困地域にて無償白内障手術(153人)
・同・テインクワン省の貧困地域にて無償白内障手術(188人)
・同・フエ省の貧困地域にて無償白内障手術(84人)
・同・ネアン省の貧困地域にて無償白内障手術(44人)

【所属学会】
日本眼科学会専門医学会、日本眼科手術学会、日本糖尿病眼学会、日本網膜硝子体学会各会員

【受章・受賞】
平成15年(2003) キワニス会から社会公益賞を受賞
平成17年(2005) 町村外務大臣より感謝状を授代
平成18年(2006) 宮沢賢治の「イーハトーブ賞」を受賞
平成19年(2007) ベトナム保健省より「人民保健記念章」の叙勲
ベトナム ハイフォン省・テインクワン省クアンニン省より各省において失明予防活動に多大なる貢献をしたことを称して表彰状を授与される。
ASIJ(American school in Japan) より“GlobalResponsibility Award”の受章

受賞者の業績

氏は、高校時代に父親を病気で亡くした事から医師を志したという。
1993年に京都府立大学医学部を卒業後、大阪・京都・熊本・福岡・静岡など日本各地の病院にて、その経験と眼科医としても研鑽を積み上げていき、網膜硝子体手術分野では日本のトップレベルの技術を持つと言われている。
氏がベトナムに渡航するきっかけは、2001年10月、母校・京都府立医科大学で開催された「臨床眼科学会」でベトナム人医師と出会ったことである。そのベトナム人医師は、眼科医師として高い評価が認められる氏に対し「ベトナムでは、多くの患者が治療を受けられずに失明している。あなたのその技術でどうか救ってほしい」と懇願され、氏は「長い人生には、そんな時代があってもいいか」と気楽な気持ちで勤務していた病院を辞め、当初3ヶ月間のボランティアの予定で単身ベトナムに渡ったという。
しかし、最初のベトナムでの経験は、けっして順調ではなかったという。現地の医療状況は想像以上にひどく、医療器材も不足、日本でなら助かるのが助けることができない。多くの患者が助けを求めているのにどうしようもできない自分の無力さを痛感したという。更に、個人的な活動として、公的支援が得られず、自らの貯金約500万円をつぎ込み眼内内視鏡やレーザーなどの最新の医療機器を日本からベトナムに持ち込み本格的な眼科治療を開始した。また、同氏の患者重視の考え方はなかなか受け入れられず、当時のベトナム国立眼科病院は、急患の有無に関わらず手術は午前中のみであった。しかし、同氏は、一台しかない手術台を午後も使えるように申請し、更に他の新しいことも教育・指導を施し、その改革に3ヶ月もの努力を要したと言われる。「患者を自分の家族と思い、患者の立場にたった医療を」という同氏の誠実な言葉は、家族を最も大切にするベトナム人の心を捕らえ、徐々に受け入れられていったという。
爾来、ベトナムでのボランティア治療は6年近くも経過したが、この間、毎年、増殖性硝子体網膜症や白内障などの手術を1000件近く実施、これまでに失明から救われた人たちの数は6000人以上に上るという。国立眼科病院は、手術1件につき1ドルの手当を支払っていたが、氏は、患者のあまりの貧しさにこの手当を治療費が払えない人たちの治療代にあてている。それでも支払えない人たちには、出会いの運命を胸に、失明の放置はできないとして自ら治療費を肩代わりすることもしばしばあるという。
また、現地での活動を通して、貧困者は眼が悪くなっても病院に来ることさえ難しい状況にあることを知り、自ら医療機器や眼内レンズなどを持って地方を回り、無償で白内障手術を実施している。こうした巡回治療を受け救われた患者数は、2000人以上に上るといわれる。
さらに一人で孤軍奮闘しても治療できる患者の数には限界があるため、自分と同じように手術が出来る医師の養成にも取り組みこれまで30人以上の医師を育てている。また、金銭を受け取らずどんな相手でも心血を注いで治療を続ける同氏の姿に、以前は時間が来ればどんなに緊急の患者がいても診療をやめてしまうのが普通だった現地スタッフの間にも何とか患者を救おうという意識が芽生えて来たという。
しかし、同氏の活動は、JICAなどの日本政府による公的な技術援助活動ではないため公的な支援を受けるのが難しいのが実情である。
2003年8月、読売新聞アジア版が氏の活動を紹介。この記事を読んだ服部則夫・在ベトナム大使の尽力で、同国への医療器材の支援が実施され、1年に1地域ずつ、これまでに3地域で実施されている。しかし、氏自身はベトナムでは収入がなく、現在は定期的に帰国してスポット勤務医師として資金を工面、ベトナムと日本の二重生活で奮闘しているという。
2004年5月には、町村外務大臣より、ベトナムの医療技術の向上のみならず、日本とベトナムの草の根レベルでの相互理解と、友好関係の促進とその功績が讃えられ、感謝状が贈呈されている。また、ベトナム政府・保健省・各地の省からも氏の献身的な医療技術の教育・指導と、貧困地域における無償の白内障手術の付与は高く評価・感謝され、多くの賞や感謝状が授与されている。また、関係医療機器提供会社も氏の献身的活動を評価し、氏の活動を通じて提供された医療機材・器具は非常に多く多岐にわたっているという。このように、同氏の物心ともにもたらしたベトナムへの眼科医療の貢献は、広く深くわが国とベトナムとの友好増進に寄与しているといえる。
また、同氏の活動は、貧困地域への無償白内障手術の供与や眼科医療技術の教育・指導など、その活動暦にも明らかなように周辺国であるタイ・ライス・インドネシアにまで及び、東南アジア諸国の人々への献身的な草の根医療分野の「目に見える貢献」という国際交流活動として高く評価されている。
「いい年をして、ベトナムでボランティアなんて」と揶揄されることもあったといわれるが、氏は「眼科医として、これからもひとりでも多くの人の眼に光が差し、生きる喜びを取り戻せるように活動を続けたい」と話している。
そして、今後、さらにこうした日本とベトナムとの関係を発展させるため、あらゆる枠を越えた眼科センターをベトナムにつくりたいと抱負を抱いていると言われる。そこには、ベトナム以外のラオス、カンボジア、ミャンマーなどからも研修医師を受け入れ、そこで学んだ医師たちが自国に帰り困っている人々のために力を尽くす。そんなシステムを作りたいとの夢を持っているという。

授賞理由

氏は、ベトナムを中心に東南アジア諸国の人々に対し、眼科の白内障手術と網膜硝子体手術の供与と指導を長年に亘り実践をしてきた。ベトナム国立眼科研究所を拠点として、延べ数千人以上への眼科疾病の治療や、同研究所指導医として専門眼科医の育成と指導に当たってきた。更に、ベトナム各省を巡回し、述べ2000人近くへの貧困地域の人々への無償白内障手術の供与など、まさに人々の眼に「光」を与えてきたといえる。
この間の資財を投じた氏の活動と、氏の文字通りの献身的な医療活動は、広く深くベトナムを始め東南アジアの「人の眼に光を」求める人々にとっての救いであり、国と国・民族を超えた人道的な活動として人々に大きな感動を与えてきたといえる。
国と国、民族と民族の交流は貴いが、このような氏の活動に本会は、草の根の国際交流の真の力強さを覚えるものであり、詰まるところの「個々人の手と手を取り合った感謝の気持ち」に体現された氏の国際医療,活動に、深く敬意を表するものでる。


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