受賞年月
平成13年1月
受賞理由
多年、日本とネパールの人的交流と人材育成に尽くした功績
受賞者の経歴
【学歴】
米子医科大学(現鳥取大学医学部)卒業
【職業】
医 師
【職歴】
昭和30年11月 医籍登録
昭和35年11月 産婦人科医院開業
【公職職】
昭和42年 4月 鳥取大学医学部同窓会会長就任
昭和52年12月 鳥取県教育委員会委員就任
昭和56年 4月 日本・ネパール人づくり協力会会長就任(現在に至る)
昭和57年 4月 鳥取県ソフトボール協会会長就任
昭和59年 4月 鳥取県医師会常任理事就任
同 鳥取大学医学部同窓会会長辞任
昭和60年 4月 鳥取大学医学部同窓会名誉会長就任(現在に至る)
平成 2年12月 鳥取県教育委員会委員辞任
平成 3年 4月 米子市長就任(現在3期目)
同 鳥取県医師会常任理事辞任
平成 4年 3月 鳥取県ソフトボール協会会長辞任
平成 4年 4月 鳥取県ソフトボール協会名誉会長就任(現在に至る)
平成 5年11月 商業集積街づくり全国市町村協議会会長就任(現在に至る)
平成 6年 6月 全国市長会相談役就任(現在に至る)
【表彰】
平成 元年 7月 地方教育行政功労者文部大臣表彰
受賞者の業績
氏は大正14年(1925年)、鳥取県日南町の寺の3男として生まれた。同年、一家で現在の境港市に移住。父は托鉢をして集めた浄財で保育園をつくり、孤児や恵まれない子どもを養育し、その姿を見ながら育った。
苦学の末に米子医科大学(現在の鳥取大学医学部)を卒業後、昭和35年(1960年)に米子市で産婦人科医院を開業。産婦人科医として地域医療に尽力する一方で、「日本・ネパール人づくり協力会」の会長を務め、日本とネパールの人的協力、交流を通して、人的育成に務めている。
昭和37年(1962年)、岩村昇・鳥取大学医学部助教授(当時)が、職を投げ打ってネパールの医療を改善するため、現地に赴いた。大学時代の友人である氏らが中心となり「岩村昇夫妻への協力会」を結成。多くの孤児を引き取り養育していた岩村夫妻への援助が主目的であった。
岩村夫妻は18年間にわたって現地の医療改善に努めたが、昭和55年(1980年)に帰国。その意志を引き継ごうと、協力会を発展解消して、翌年4月に「日本・ネパール人づくり協力会」が発足。会長に氏が就任した。
協力会の特徴は、人づくりにある。「国づくりは人づくり、人づくりは教育から」をモットーに、日本とネパールの人的交流を主目的としている。それには苦い経験があった。活動を支援する米子青年会議所が昭和47年(1972年)、岩村氏の要請でネパールへ車や医薬品を送った。しかし、物や金を持って行けば行くほど、現地の人たちは次は何を持ってきてくれるかとエスカレートするようになった。相互の人的交流の中から自立した人材を育成しようと、「日本・ネパール人づくり協力会」を設立したのである。
協力会の主な活動は、鳥取県ネパール青年の翼の隔年実施(これまでに12回実施)や日本・ネパール青年会議の開催、看護婦・幼稚園教諭の派遣、来日ネパール人の受け入れ、小学校の開設・運営、医療・衛生教育の実施など多岐にわたる。
氏は昭和57年(1982年)、初めてネパールを訪れ、カトマンズ近くの集落で、土のついたカマでへその緒を切る姿や破傷風に苦しむ母子を見た。帰国するとすぐに現地で保健活動に携わる看護婦を募った。看護婦探しは進まなかったが、福岡県出身の吉田一子さんが申し出て、氏のもとで訓練を受けた後、昭和60年(1985年)に吉田さんはネパールに向かい、保健活動に尽力した。その後も鳥取県三朝町出身の秋山和美さんや、現在も鳥取県大山町出身の山根正子さんが現地で看護婦として、また日本で学んだ鍼灸東洋医学の治療と指導にあたっている。
この間、ネパールから青年を招き、自動車整備技術を習得したほか、小児マヒ後遺症の手術とリハビリテーションを援助。さらに、青年の翼に参加した幼稚園教諭が1年間、ネパールで幼児教育を体験するなど、相互交流が深まった。
さらに、ネパールでの村づくりにも積極的に関わった。氏らがカトマンズ郊外のコカナ村に入り、診療所を開設して初診料を貯めて子ども図書館を設けた。無料で各種の予防接種を始めたが、ほとんど予防接種を受けていない村人から理解が得られず、当初は苦労の連続であった。しかし、現在では現地のボランティアの協力も得られ、海を越えた人づくりの絆は着実に深まっている。
平成元年(1989年)には、カトマンズ隣のパタン市内に3階建ての民家を借りて幼稚園を開設。3年後には私立小学校、さらにその5年後には私立中学校を開設した。現在は幼稚園から中学校まですべて現地のスタッフが運営にあたり、協力会の目的であった人材育成が実を結び、「人づくり=教育」の実践を目指している。
現在、カトマンズで日帰り手術が出来る施設の建設が進んでおり、協力会では施設の運営を軌道にのせるとともに、現地で活動している山根正子さんに続く後継者の育成を目指している。
授賞理由
氏は医師として、また一人の市民として、日本・ネパール人づくり協力会の中心的な役割を果たし、これまで8回ネパールを訪れ、交流を深めている。また、氏は鳥取県教育委員・委員長を務め、現在は米子市長として協力会のモットーである「人づくり」を実践している。
今日、NPO(民間非営利組織)、NGO(非政府組織)など市民活動が高まりを見せ、国際交流の重要性が叫ばれる中で、協力会はその先駆的な役割を果たすとともに、今日まで20年近くにわたって継続的に活動を続け、現在も350人の会員が会を支え、他の民間団体の模範となっていることは、本賞の受賞に相応しいと考えられる。