王 毅【中国駐日特命全権大使】 特別賞

受賞年月

平成17年2月

受賞理由

多年、日本語普及活動に理解を示し、中国と日本の善隣友好関係の促進に尽くした功績

受賞者の経歴

【学歴】
昭和44年(1969)  9月 中学卒業
昭和44年(1969)  9月 黒龍江省農村に下放(昭和52年2月)
昭和52年(1977)  2月 北京に帰る(昭和53年3月)
昭和53年(1978)  3月 北京第二外国語学院アジア・アフリカ語学部在学(昭和57年2月)
昭和57年(1982)  2月 北京第二外国語学院アジア・アフリカ語学部文学学士取得
平成  9年(1997)  8月 米国ジョージタウン大学外交研究所訪問学者(平成10年2月)
平成10年(1998)  4月 南開大学世界経済専攻経済学修士取得
平成11年(1999)  9月 外交学院国際関係専攻博士学位取得中、博士課程修了
【職歴】
昭和57年(1982)  2月 外交部アジア局アタッシェ(昭和59年9月まで)
昭和59年(1984)  9月 外交部アジア局副課長(昭和62年8月まで)
昭和62年(1987)  8月 外交部アジア局課長(平成元年9月まで)
平成 元年(1989)  9月 駐日本大使館政務担当参事官(平成5年4月まで)
平成  5年(1993)  4月 駐日本大使館公使級参事官(平成6年3月まで)
平成  6年(1994)  3月 外交部アジア局副局長(平成7年6月まで)
平成  7年(1995)  6月 外交部アジア局局長(平成10年4月まで)
平成10年(1998)  4月 外交部部長補佐兼政策研究室主任(平成13年2月まで)
平成13年(2001)  2月 外交部副部長(平成16年9月まで)
平成16年(2004)  9月 中国駐日本特命全権大使

受賞者の業績

王毅氏は2004年9月に中華人民共和国駐日本国特命全権大使に就任した。日本着任にあたり、「職責を全うし、国に報い民に仕え、開拓進取し、使命を辱めず」と自らの心境を語り、その個性と責任感が示された。 前世紀6、70年代、王毅氏は同世代の人々と共に、旧ソ連との国境に近い中国東北地域に下放され、8年間にわたり荒地開墾作業にあたった。長年の厳しい試練の中で、中国の国情を切実に体験し、自らの志と国の運命を深く考え、その時期より、外交問題、特に中国と周辺諸国の関係に深い興味を持つようになった。
優れた成績で大学に入り、中日二千年に及ぶ交流史に深く感銘を受け、両国先人たちの友好交流の伝統を受け継ぎ、中日関係の発展に貢献する決意をした。そのため、日本言語文学を専攻とし、歴史、政治、法律などを幅広く研鑽し、とくに中日両国の古代史に関する研究に力を入れた。学生時代に、中国の著名な社会科学誌に中日歴史学の比較研究―「日本の大化改新と中国唐時代の律令制度」という論文を発表し、学術界の先輩から好評を得た。
大学卒業後、中国外交部にスカウトされた。20世紀80年代の中国は急激な変化と高度成長の時期にあり、外交理論と政策も徐々に調整された。王毅氏は実務担当者として、時の中国指導者胡耀邦氏の日本訪問の政治的準備に参加した。胡氏はこの訪問にあたり、中日両国が子々孫々まで友好関係を維持すべく、その理念を全面的に提出し、中日友好協力の大方向を示した。王毅氏並びに同僚たちの知恵と努力がこの重大な政策に込められた。
突出した業績と才能により、王毅氏は34歳の若さで外交部日本課長に昇進し、中国の対日政策の立案と実施を担当することになった。その後、駐日本大使館の公使参事官と外交部責任者として、長く対日関係を主管し、中日間の一連の首脳相互訪問や重要な友好交流の企画と推進を積極的に行った。3000人の日本青年の訪中、鑑真和上坐像の里帰り、天皇皇后両陛下の訪中、1998年江沢民主席の訪日などが挙げられる。江沢民主席訪日時、中日双方は平和と発展のための協力パートナーシップを確立したが、王毅氏がそのために重要な貢献をした。
2003年から2004年にかけて、朝鮮の核疑惑が世界の注目を集め、かつてない複雑で機微な問題となった。六カ国協議の議長及び中国代表団団長として、王毅氏は北東アジアの平和と安定、朝鮮半島の非核化の実現という揺るぎない理念を貫き、全力を挙げて、対話による平和的解決に取り組んだ。氏は全局を掌り、矛盾を取り除き、度々協議を決裂の寸前から取り戻し、当該問題を平和的対話の軌道に乗せるために核心的役割を果たした。その間、日本との協調と協力を重要視し、日朝国交正常化と拉致問題の解決に大きな関心と支持を寄せ、日本からの高い評価を得た。 外交次官在任中、王毅氏は中国と20数ヶ国の周辺隣国との関係を主管し、「善をもって付き合い、隣国を仲間と見なす」との外交方針と「善隣、安隣、富隣」(隣国と友好的に付き合い、隣国と安定した関係を作り、隣国と共に豊かになる)との外交思想の形成に大きく貢献した。また、氏は中国とベトナム、インドとの国境交渉の中国政府代表団団長を務め、ベトナムとの境界画定に漕ぎ着け、インドとの国境の平和と安寧を維持した。
王毅氏はまた中国外交部の政策企画と研究を担当し、中国の全般的外交戦略の制定と実施に参与した。この戦略は平和、友好と協力を訴え、中国が国際社会で積極的、建設的な役割を果たすことを促進した。氏は訪問学者としてアメリカで研究交流活動を展開し、アメリカ問題について深い見識と独特の視点を持ち、広い人脈を築き上げた。同国の同僚との間で、中米の外交政策及びアジア問題に関する協議を行い、双方の国際的課題と二国間の重大な問題における意思疎通と理解を深めた。
王毅氏は地域協力を非常に重要視し、90年代以来の中国の全方位的地域協力政策の策定に携わった。氏は中日両国が二国間の協調を通じて共に地域協力を推進し、地域協力を通じてまた二国間関係を促進することを力説した。日本が地域協力の中で積極的な役割を発揮することを歓迎、支持し、中日両国が優位性を補いあい、協調しあい、共にアジアの振興に取り組むことを呼びかけている。
駐日本大使に就任して以来、王毅氏は精力的に日本政界、経済、文化など各界の有識者を訪ね、中日友好の重要性を強調し、その発展に関する基本的な構想を述べ、各方面からの重視と理解を得ている。氏は中日両国が世界平和とアジア振興の高い見地から、新たな共通利益を探求し、長期安定した関係の枠組みを構築すべきとし、中日関係の「チャンスとチャレンジ論」を打ち出した。氏は広く友人を作り、日本各地に足を運び、親善活動を広げ、実務的かつ穏やか、開放的かつ爽やかなイメージで、日本各界から歓迎されている。

授賞理由

氏は青年時代、農村への下放を経験し、苦学の末、北京第二外国語学院を優秀な成績で卒業し、1982年中国外交部に入部した。流暢な日本語はもとより、誠実な人柄は衆人の認めるところで、中国外交の第一線で活躍中である。
中国外交部アジア局日本課長(1987)の後、駐日大使館の政務担当参事官(1989)・同公使級参事官(1993)を経て、中国外交部アジア局長(1995)、2001年より外交部副部長を歴任した。この間、中国の対日政策の企画、立案、また、一連の首脳相互訪問と大きな友好交流活動を推進し、21世紀の日中友好のあるべき枠組みの構築に尽力した。近年はさらに北朝鮮をめぐる六カ国協議の議長役を務め、極東アジアの平和と安定並びに朝鮮半島の非核化に力を入れ、日朝関係の改善と拉致問題の解決にも大きく協力した。
氏は、2004年9月より駐日特命全権大使として来日し、自国の名誉と威厳とを代表して、日中関係の健全な発展と在日中国人の合法的権益の擁護に励んでいる。
当会は、1994年10月より毎年、中国内陸に於いて「陜西省大学生日本語弁論大会」を、中国教育国際交流協会との共催で、既に昨秋第11回目を実施してきた。日中友好の実現は言語を通じての意思疎通が最も重要である事は言うまでもない。この時にあたり、氏の中国に於ける「日本語弁論大会共催」に対する深い理解を始めとして日中親善に寄与してきた功績を讃え、当会はここにアカデミア賞を贈呈することとした。
氏の今後の日中親善への活躍は、斉しく両国民の期待するところである。


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