受賞年月
平成30年2月
受賞理由
自らが提唱・実践した国民的な環境運動「森は海の恋人」を通じ、世界の環境活動並びに環境教育に寄与した数々の功績。
受賞者の経歴
【主な職業】
特定非営利活動(NPO)法人「森は海の恋人」理事長
漁師、エッセイスト
京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授
【学 歴】
1962(昭和37)年 3月 宮城県気仙沼水産高等学校卒業
【経 歴】
1962年 高校卒業後、牡蠣、帆立の養殖に従事
1989年 「牡蠣の森を慕う会」結成
2004年 京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授(~現在)
2009年 NPO法人「森は海の恋人」設立。代表就任(~現在)
【過去における表彰】
1994年 朝日森林文化賞
1999年 緑の日自然環境功労者環境長官表彰
2000年 第6回環境水俣賞
2001年 『漁師さんの森づくり』第48回産経児童出版文化賞
2001年 『漁師さんの森づくり』第50回小学館児童出版文化賞
2001年 公益財団法人社会貢献支援財団海の貢献賞
2003年 『日本汽水紀行』第52回日本エッセイスト・クラブ賞
2003年 緑化推進功労者内閣総理大臣表彰
2004年 宮沢賢二イーハトーブ賞
2004年 河北文化賞
2012年 国連フォレスト・ヒーローズ賞
2012年 第46回吉川英治文化賞
2012年 『鉄は魔法使い』第59回産経児童出版文化賞産経新聞社賞
2013年 サントリー文化賞(NPO法人森は海の恋人活動)
2014年 日立環境財団環境賞審査委員会特別表彰(NPO法人森は海の恋人)
2015年 第6回KYOTO地球環境の殿堂入り 第25回みどりの文化賞
【主な著書】
1994年 『森は海の恋人』北斗出版(後に文春文庫に引き継がれる)
1999年 『漁師が山に木を植える』(松永勝彦氏と共著)成星出版
1999年 『リアスの海から』文藝春秋(後に文春文庫に引き継がれる)
2000年 『漁師さんの森づくり 森は海の恋人』講談社
2003年 『日本汽水紀行「森は海の恋人」の世界を尋ねて』文藝春秋
2005年 『カキじいさんとしげぼう』講談社(6ケ国語に翻訳)
2006年 『牡蠣礼讃』文春新書
2008年 『鉄が地球温暖化を防ぐ』文藝春秋
2011年 『森・川・海のつながるいのち』童心社
2011年 『鉄は魔法使い 命と地球をはぐくむ「鉄」物語』小学館
2015年 『牡蠣とトランク』ワック
受賞者の業績
氏の業績は、以下のとおりである。
同氏は、1961年宮城県水産高等学校を卒業とともに、家業のカキ養殖業を継ぎ、いち早く、三陸の養殖業の先を見通し、初めてホタテガイの養殖を宮城県に導入した。1960年代後半に始まる高度経済成長期の進行と共に、気仙沼湾の水質環境は悪化の一途を辿り、1970年代から1980年代にかけて深刻な赤潮の発生が頻発化し、多くの漁師は廃業を余儀なくされた。そのような中、同氏は「このような事態は自分たちがもたらしたものではなく、気仙沼湾につながる川の流域の人々の暮らし向き、さらには上流の森林域が開発により荒廃したからに違いない」ことを日々の生業から確信し、解決の道を探った。
しかし、縦割りの行政組織や研究分野は、森から海までのつながりは管轄外だと耳を貸さない現実に直面し、漁師仲間で「牡蠣の森を慕う会」を結成し、1989年に気仙沼に注ぐ大川の上流にあたる室根山(現在は矢越山)中腹で植樹活動を開始した。その活動の理念を、歌人・熊谷龍子の短歌の一節から叙情的に表したキャッチフレーズ「森は海の恋人」が人々の心をつかみ、その後運動は大きく広がった。植樹活動5年後に出版した『森は海の恋人』は大きな社会的関心を生み、朝日森林文化賞の受賞となった。
その後、カキ・ホタテガイの養殖の技術を磨くとともに、全国各地を訪ねて、森と川と海のつながりをつぶさに見聞し、類まれな文才をいかんなく発揮して、多くの著作を出版した。それらは、数々の出版文化賞を受けるとともに、中学校の国語の教科書、すべての小学5年生が習う社会科の教科書に紹介されている。平成25年から、高校1年生が習う英語の教科書にも、一つの章として紹介されるまでに広がりを見せている。
同氏がこの間最も大事にしてきた子供たちの環境教育は、より体系化された形として、2009年に発足したNPO法人「森は海の恋人」に引き継がれ、一層の発展につながっている。また、2004年に京都大学フィールド科学教育研究センターから社会連携教授の称号を受け、森里海連環学の教育と研究に大きく貢献をしている。
以上のように同氏は、三陸の海に生きる漁師して、日々の現場での実感から得た確信をもとに、海の再生には川の流域や森林域の生態系並びに人々の暮らしが深く関わることを見抜き、流域全体を巻き込む運動を展開し、気仙沼湾の海の再生に大きく貢献した。そのような運動を地域の特殊な問題としてだけではなく、この国全体が抱える普遍的な問題としてとらえ、それを「森は海の恋人」として発信し続け、今では世界が注目する日本の“知恵”にまで高めた社会的貢献は極めて優れたものと言える。
同氏は、「漁師が山に木を植える活動」として社会的関心を広めるとともに、同時に子供たちの環境意識を高めるための水辺での環境教教育に最も力を入れ、これまでに舞根湾のカキ養殖施設に招いた小学生は、1万人を大きく超える数に至っている。このような子供たちの“こころに木を植える”活動は、2004年以来、京都大学の新入生の現場実習としても継続され、大きな教育効果を上げている。
東日本大震災からの復興が全体としてなかなかの思うように進まない中、同氏の森は海の恋人に包含された、多様な“つながり”を紡ぎ直すメッセージは、多くの国民に希望を与え、国連が、森のエキスパートではない漁師を世界のフォレスト・ヒーローズに選んだように、世界の目が注がれている。地球規模での存続性が問われる今日、同氏が世界に発信し続けている森は海の恋人の考えと実践は、日本が誇るべき叡智として、これからも大いに発展することが期待されている。