藤澤令夫【京都大学名誉教授】 文化部門

 

受賞年月

平成13年1月

受賞理由

多年、我が国の哲学とりわけギリシャ哲学研究の発展に尽くした功績

受賞者の経歴

【学歴】
昭和26年  3月 京都大学文学部哲学科卒業
昭和26年  4月 京都大学大学院研究奨学生となり、昭和31年3月修了
【職歴】
昭和33年  4月 九州大学文学部哲学科助教授に就任
昭和38年  4月 京都大学文学部哲学科助教授に就任
昭和44年  1月 京都大学文学部哲学科教授(哲学・哲学史第二講座)昇任
昭和49年  1月 京都大学文学部長を併任(昭和51年3月まで)
平成 元年  3月 停年退官
平成 元年  4月 京都大学名誉教授の称号を授与される。
同        甲南女子大学文学部教授に就任(平成3年3月まで)
平成  3年  4月 京都国立博物館長に就任(平成9年3月まで)
【公職歴】
昭和49年  2月 文部省大学学術局学術審議会専門委員(昭和50年3月まで)
昭和50年  9月 文部省大学局大学院問題懇談会部会委員(昭和53年3月まで)
昭和51年  2月 文部省学術国際局学術審議会専門委員(昭和52年12月まで)
昭和53年  2月 文部省学術国際局学術審議会専門委員(昭和55年12月まで)
昭和59年  6月 国立大学協会大学院特別委員会・小委員会委員(昭和60年6月まで)
昭和59年12月 財団法人国際高等研究所企画委員(平成元年12月まで)
昭和60年  6月 日本学術振興会流動研究員等審査会専門委員(昭和61年5月まで)
昭和61年  3月 科学技術庁科学技術会議(ライフサイエンス部会)専門委員(昭和63年3月まで)
平成  9年  9月 科学技術庁科学技術会議生命倫理委員会専門委員(現在に至る)

受賞者の業績

氏は昭和26年3月京都大学文学部哲学科を卒業、昭和31年3月京都大学大学院を修了の後、九州大学文学部哲学科助教授を経て、昭和38年4月京都大学文学部哲学科助教授に就任し、哲学・哲学史第二講座(西洋古代哲学史)を担当した。昭和44年1月教授に昇任し、以後20年間にわたり同講座主任教授を務め、平成元年3月停年により退職した。同年4月には退官 京都大学名誉教授の称号を授与されている。その後、甲南女子大学教授を経て、平成3年4月から平成9年3月まで京都国立博物館長にの任に当たり、その管理・運営にも尽力してきた。
氏は、哲学に真の有効性と活力を回復するためには、その伝統の源泉に立ち返って本来のあり方を見定めなおすことが肝要であるとする確信立って、古代ギリシャ哲学を主たる研究領域として取り組んできた。その対象は広く初期ギリシャ哲学からヘレニズム期の諸学派まで、あるいはさらに古典文学にまで及ぶが、とりわけ関心の中心に置かれてきたのは、プラトン哲学である。この分野での氏の浩瀚な業績は、すでに早期の主要研究業績の一つであるプラトン『パイドロス』についての注解書において模範的に示されてたように、プラトン研究を従来わが国では誰も成し得なかった厳密整備な古典文献的方法によって基礎づけ、精確な原点解釈を通じてプラトン哲学に込められた思想的内実を明らかにするものとなっている。とりわけ「イデア論」の成立と発展についての新解釈は、それのもつ哲学的意味に新生面をを開く画期的な提案で、これによって独自のプラトン理解を示すとともに、今日の哲学状況や思想的諸課題を打開する根本基盤の整備に資するものともなっている。いわゆる現代哲学や現代そのものの状況に対しても、氏は、ギリシャ哲学についての深い洞察をふまえつつ、示唆豊かな鋭い提言を多々投じており、今日の日本を代表する哲学者・思想家の一人としても高い評価が与えられている。つねに問題を総合的視野の中に引き戻して、根本的な「価値」観の再検討とそれに基づく論点の立て直しを提唱することにより、特に現代に緊要な医療などの科学技術や倫理的諸問題に対する明確な主張が注目を集めている。これらの業績は、多数の論文や著書として随時発表され、さらに平成12年10月からは、『藤澤令夫著作集』全7巻として刊行されている。
また、この間プラトンをはじめとして、ギリシャ・ラテンの主要古典文献の邦訳及び注解にも貢献著しく、特に田中美知太郎氏とともに編纂に携わった『プラトン全集』全15巻及び別巻は、高度の専門研究レベルの内容とすぐれた邦訳をそろえた画期的意義を持つ成果なっている。
このようにすぐれた研究世活動を並行して、氏は、昭和40年代に大学が直面した難局の中で、つねに献身的に問題の打開に当たり、次いで昭和49年1月から同51年1月までは2連続して京都大学文学部長並びに京都大学評議員を務めたのをはじめ、しばしば全学の委員会委員をも歴任して、学内行政上の諸問題についての懸案の解決と研究体制の整備に尽力した。
学外においても、昭和49年2月から昭和50年3月まで、昭和51年2月から昭和52年12月まで、さらに昭和53年2月から昭和55年1月までと、数字にわたって文部省学術審議会専門委員を、昭和50年9月から昭和53年3月まで文部省大学院問題懇談会部会委員を、昭和59年6月から昭和60年6月まで国立大学協会大学院特別委員会小委員会委員を、昭和61年3月から昭和63年3月まで科学技術庁科学技術会議(ライフサイエンス部会)専門委員を務めたほか、関連学会においてはつねに主導的な立場にあり、特に昭和61年6月から平成10年5月まで日本西洋古典学会委員長を、昭和62年5月から平成3年6月まで日本哲学会委員長を、昭和61年11月から平成10年10月まで関西哲学会会長を務めるなど、わが国の学術・教育の全般的な発展と振興にも寄与したところ多大である。なお、学術研究をはじめとする以上のような業績により、平成5年4月には紫綬褒章が授与されている。
以上のように、氏の長年にわたる教育研究における多大な業績と、それらを通じての社会的貢献は極めて顕著である。

授賞理由

氏は、学問の分野において最も歴史のある古代ギリシャ哲学を研究され、我が国の哲学史に大きな足跡を残した。とりわけ、氏によって関心をもたされたプラトン哲学は、精確な原典解釈を通じての研究成果によってその思想的内実が明らかにされ、独自のプラトン理解が示されるとともに、今日の哲学状況や思想的諸課題を打開する根本の整備に資した。
本会会誌は昭和21年、野上俊夫氏、古沢義則氏、新村出氏(いずれも京都大学名誉教授)によって「ACADEMIA」と命名され創刊されている。このことからも、本会として、氏の業績に深い敬意を表すものである。
また、氏は多年、京都大学教授、文学部長等、教育者として後輩の指導育成にあたり、学外のあっても文部省等の公職や学会の要職を歴任し、我が国の学術・教育の発展に寄与したその業績は大きい。


ページ上部へ