清水 司【早稲田大学名誉教授 ・学校法人渡辺学園理事長】 文化部門

受賞年月

平成14年2月

受賞理由

多年、わが国の教育、学術、文化の振興、特に私学の振興に尽くした功績

受賞者の経歴

【学歴】
昭和23年  3月31日 早稲田大学理工学部電気通信学科卒業
昭和23年  4月  1日 早稲田大学大学院理工学研究科文部省特別研究生(昭和28年3月31日まで)
昭和35年  3月15日 工学博士(旧制)の学位を授与される
【職歴】
昭和28年  4月  1日 早稲田大学第一・第二理工学部助手
昭和30年  4月  1日 早稲田大学第一・第二理工学部専任講師
昭和32年  4月  1日 早稲田大学第一・第二理工学部助教授
昭和40年  4月  1日 早稲田大学第一・第二理工学部教授(昭和59年3月31日まで)
(昭和43年4月1日より理工学部に名称変更)
昭和45年10月12日 早稲田大学常任理事(昭和53年11月4日まで)
昭和53年11月  5日 早稲田大学総長(理事長・学長)(昭和57年11月4日まで)
昭和59年  4月  1日 日本私学振興財団理事長(平成4年6月30日まで)
平成  4年  7月  1日 早稲田大学理工学部教授(平成5年3月31日まで)
平成  5年  3月31日 早稲田大学を定年により退職
平成  5年  4月  1日 早稲田大学名誉教授(現在に至る)
平成  5年  4月  1日 東京家政大学学長・東京家政大学短期大学部学長(現在に至る)
平成  5年  5月25日 早稲田大学名誉顧問(現在に至る)
平成11年  6月  5日 学校法人 渡辺学園 理事長(現在に至る)
【公職歴】
《主な審議会等の委員歴》
昭和40年11月  1日 国立産業芸術大学(仮称:現九州芸術工科大学)設置の調査に関する会議・専門委員
(昭和41年8月31日まで)
昭和43年  3月  1日 社会教育審議会臨時委員(教育放送分科会)(昭和46年11月30日まで)
昭和44年  8月  1日 大学設置審議会専門委員(昭和44年12月31日まで)
昭和44年11月  1日 放送大学に関する調査研究会議委員(昭和45年7月31日まで)
昭和46年  4月  1日 電子技術審議会専門委員(昭和51年7月31日まで)
昭和47年  2月  1日 放送大学設置に関する調査研究会議委員(昭和48年3月31日まで)
昭和48年  5月  1日 放送大学(仮称)設置に関する調査研究会議委員(昭和49年3月31日まで)
昭和49年  6月15日 大学設置審議会委員(大学基準分科会)(昭和59年3月31日まで)
昭和53年  5月10日 工学視学委員(昭和55年3月31日まで)
昭和53年12月15日 放送教育開発センター(現メディア教育開発センター)評議員(現在に至る)
昭和54年  8月  1日 日本ユネスコ国内委員会委員(昭和63年7月31日まで)
昭和55年  2月  1日 学術審議会委員(昭和63年2月28日まで)
昭和55年11月  1日 私立大学審議会委員(昭和59年11月30日まで)
昭和56年11月  1日 放送大学(仮称)開学準備委員会委員(昭和58年3月31日まで)
昭和60年  8月  1日 日本ユネスコ国内委員会副会長(昭和63年7月31日まで)
昭和61年  6月  1日 学術情報センター評議員(現独立行政法人国立情報学研究所参与として現在に至る)
平成 元年  4月  1日 中央教育審議会会長(平成3年4月30日まで)
平成 元年  9月  1日 放送大学学園運営審議会議長(平成9年9月30日まで)
平成  4年  7月  1日 東京都生涯学習審議会会長(平成8年9月30日まで)
平成  6年  2月  1日 教科用図書検定調査審議会委員・会長(平成10年3月31日まで)
平成  6年  9月  1日 中央児童福祉審議会委員(平成13年1月5日まで)
平成  6年10月  1日 大学入試センター評議員(平成13年3月31日まで)
平成  7年  5月  1日 大学設置・学校法人審議会副会長(平成9年4月30日まで)
平成  8年  7月  1日 国語審議会会長(平成10年7月31日まで)
平成  8年10月20日 東京都教育委員会委員長(現在に至る)
平成  9年  5月  1日 大学設置・学校法人審議会会長(平成11年4月30日まで)
平成10年12月  1日 国語審議会会長(平成12年12月31日まで)
平成12年  4月  1日 お茶の水女子大学運営諮問会議委員・議長(現在に至る)
平成13年  7月  1日 独立行政法人国立博物館運営委員会委員(現在に至る)
平成13年10月  1日 独立行政法人大学入試センター運営審議会委員・副議長(現在に至る)
《主な関係団体歴》
昭和46年  6月  1日 電気通信学会(現電子情報通信学会)評議員(昭和48年6月30日まで)
昭和54年  5月  9日 大学基準協会評議員(昭和59年3月31日まで)
昭和54年  5月15日 大学基準協会常務理事・副会長(昭和59年3月31日まで)
昭和55年  5月  1日 日本私立大学連盟常務理事(昭和59年4月30日まで)
昭和61年  3月  1日 放送大学教育振興会評議員(現在に至る)
平成  2年  4月  1日 旭硝子奨学会理事(現在に至る)
平成  5年  7月  1日 日本私立大学協会評議員・理事・常務理事(現在に至る)
平成  6年  6月  1日 全国保母養成協議会(現全国保育士養成協議会)会長(現在に至る)
平成  7年  4月  1日 全国大学体育連合会長(現在に至る)
平成  9年  1月21日 全国都道府県教育委員会連合会会長(現在に至る)
平成12年10月26日 日本私立短期大学協会常務理事(現在に至る)
以上 抜粋
【受章・受賞】
昭和57年10月21日 ボン大学 ライン・フリードリッヒ・ヴィルヘルムメダル授与
平成  9年11月  3日 文化功労者(電波工学・教育)
平成12年11月  3日 勲一等瑞宝章 受章(教育研究功労)

受賞者の業績

氏は、大正14年1月22日、新潟県に生まれ、昭和23年3月に早稲田大学理工学部電気通信学科を卒業後、大学院文部省特別研究生の5年を終え、早稲田大学助手、専任講師、助教授を経て、同大学教授となった。この間、昭和45年から8年余、早稲田大学の常任理事となり大学運営に尽力した後、昭和53年11月、早稲田大学総長(学長・理事長)に就任し、創立百周年記念事業の遂行等、同大学の発展に尽力した。一方、昭和59年4月には日本私学振興財団理事長に就任し、8年3ヶ月にわたり、私学のリーダーとして日本の私学の研究教育の振興に尽くしている。平成3年5月、早稲田大学を退職後、東京家政大学学長・東京家政大学短期大学部長として招聘され、女子教育に携わっており、平成11年6月には、学校法人渡辺学園理事長にも就任し、現在にいたっている。
早稲田大学においては、昭和35年3月に工学博士(旧制)の学位を受けるとともに、昭和59年3月退職するまでの35年の永きにわたり、研究、教育、後進の指導、学術の発展及び大学の発展に献身的に尽くし、多大な寄与をなしている。
氏は、マイクロ波領域の電波工学を中心に教育研究に携わる中で、学会に多大な寄与をなし、平成10年9月に電子情報通信学会、平成11年5月に電気学会より名誉会員の称号を受けている。その研究は、多岐にわたり、フェライト中のマイクロ波伝播などに関するマイクロ波工学の研究に始まりAr+イオンレーザー、He-Kr+イオンレーザーなどの各種ガスレーザーとホログラム等への応用の研究、半導体、磁性体、誘電体など電子材料の研究、また教育問題の研究等で多くの論文を発表するなど、輝かしい業績をあげている。
また一方、同大学にあって常任理事、早稲田大学第11代総長として重責を担い、大学運営の中枢にあって、私立の総合大学として充実・発展していく上で、大きな曲がり角にあった同大学が直面していた多くの重要課題に精力的に取り組んだ。特に創立百周年記念事業の計画と実施にあたっては、未来の大学のあり方を指向した事業計画を策定し、とりわけ総合学術情報センター(中央図書館および国際会議場)、所沢キャンパスにおける人間科学部の創設等の実現に向けて中心的な役割を果たし、来るべき時代の同大学の礎を築いている。高い見識、公正な調整者としての手腕と指導力によって、同大学の教育・研究に関わる諸条件や環境を飛躍的に高めると同時に、大学財政の難局をのりきり、同大学の経営を強固ならしめるために貢献した。
特筆すべきは、氏の相手への思いやりに基づいた無私のサービスをいとわない行動力と強い意志によって、実に膨大な学内外の役職の責務を果たしてきたことである。
先ず、文部省関係においては、昭和43年から社会教育審議会臨時委員として、昭和58年に開設した放送大学の創設に尽力し、今日の生涯学習への道、マルチメディアを利用した新しい教育への基礎を作った。また、大学設置審議会と私立大学審議会の委員、学術審議会委員、改組された大学設置・学校法人審議会の副会長および会長を務め、特に平成元年4月から平成3年4月までの後期中等教育と高等教育を中心とした制度改革などが諮問された中央教育審議会において、会長として生涯学習振興方策を含めた2回の答申をまとめ上げた。また、日本ユネスコ国内委員会副会長、放送大学学園運営審議会議長、教科用図書検定調査審議会会長、国語審議会会長等の要職を歴任し、国立情報学研究所参与、独立行政法人大学入試センター運営審議会副議長、メディア教育開発センター評議員を務めるなど、わが国の教育・文化の進行に寄与している。
専門分野においては、科学技術庁電子技術審議会専門委員、電気通信学会評議員等を務めるなど、日本の電波工学の発展に寄与する一方、わが国の教育のあり方や文化・スポーツの振興を高い視点から見通し、大学基準協会常任理事および副会長、全国保育士養成協議会会長、全国大学体育連合会長、東京都生涯学習審議会会長、東京都教育委員会委員長、全国都道府県教育委員会連合会会長等々を歴任し、教育行政、研究・教育の改善と発展に多大な貢献をなした。
さらにまた、日本私立大学連盟常任理事、日本私立大学協会評議員、同協会常任理事等を歴任すると同時に、日本私学振興財団理事長を務め、私学振興に多大な貢献をなした。中でも、国公立学校とともにわが国の教育を担う私立学校の公共性を重視し、財政困難に陥っている私学のために公費助成の適正な増額を求めるとともに、私学改革と水準の維持向上に尽力する一方、私学の自己努力による質的な向上をめざし、教育研究の改善を強力に推進することに努めた。
このような氏の綿々と続くその活動の中には、一筋の光が貫いている。それは”文化の推進”への貢献であり、氏の生涯を通じてのこのような類なき功績に対し、平成9年11月文化功労者としての栄誉が与えられ、平成12年11月には勲一等瑞宝章を授与された。
以上のように、氏が教育、学術、文化の振興、特に私学の振興等に果たした役割、功績は、まことに顕著である。

授賞理由

氏は、昭和23年に早稲田大学を卒業後、母校の理工学部において一貫して教育と研究及び後進の指導に従事した。研究業績の分野において、とりわけ、マイクロ波領域の電波工学の研究は、学会に多大な寄与を成し、輝かしい業績を上げている。
一方、氏は、昭和53年には早稲田大学第11代総長に就任し、その重責を担い、大学運営の中枢にあって、私立の総合大学として直面していた多くの重要課題に精力的に取り組んだ。氏の高い見識と公正な調整者としての手腕と指導力によって、同大学の教育・研究に関わる諸条件を高め、大学の財政基盤と経営はより強固になった。この過程での、氏の相手への思いやりに基づいた、無私のサービスをいとわない行動力と強い意思は、高く評価されている。
その後、氏は文部科学省関係を含め、数々の審議会委員、公益法人評議員・理事等々を務め、その手腕を発揮している。特に、昭和59年からは日本私学振興財団理事長に就任するなど、私立大学の育成と発展に対しても特筆すべき貢献があり、現在も日本私立大学協会・日本私立短期大学協会常務理事として本会の多くの会員諸氏の指導的立場にある。
このように、氏が教育、学術、文化の振興、特に私学の振興等に果たした功績は極めて大きい。


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